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今回は、連発式散弾銃の初期に登場,ヒットしたものの、その後短命に
終わったレバーアクション式のウィンチェスターM1887を。

1887/08

[概要]
M1887は、銃器設計の天才、J・ブローニングが開発、ウインチェスター社が
1887年に発売した手動連発式のショットガン(散弾銃=複数の弾丸を一度に
発射する銃)である。
薬室(チャンバー)への装填,排莢は機関部下のレバーを利き手で前方へ
円弧状に操作して行う。
弾倉(マガジン)への装填も、レバー操作後機関部後方から行う、特異な
後方装填,排莢方式となっている。

1887/01

[1/1]
マルシン工業は映画「ターミネーター2 Judgment Day(T2)」のコラボレーション
商品としてM1887ショート(ソウドオフ=切り詰め短縮モデル)を8mmBB弾
使用のガスガンで製作、これを基に銃身を延長、ストックもフルサイズとした
M1887ガーズガンもバリエーションモデルとして開発した(上の画像)。

手元のものは、上級版として木製のハンドガード、グリップが付属している。

1887/14
マルシン M1887はガスタンクの位置に特色があり、レバー操作で露出する
機関部内に収められており、通常は(実物では存在しない)ガス注入ノズルが
見えないように配慮されている。


[1/6]
1/6では、以前からホットトイズ ターミネーターフィギュアの付属品など
複数存在したが、昨年ZYTOYSからレバー操作も可能な精密なモデルが
単体発売された。
これも映画「ターミネーター2」を意識しているらしく、トリガーガード、ストック、
バレルが切断されたものをモデルアップしているが、更にループレバーは
下が広がったタイプで、グリップ部に鉄板が追加された映画のバイク搭乗
シーンなどで使われたものを再現している。

1887/10
マルシンのM1887(後方)と、ZYTOYSの1/6サイズ、ターミネーター
フィギュア付属と思われる(ホットトイズではない)1/6サイズのもの(左)。


1887/15
ZYTOYSの製品は、レバーが可動で、機関部を開いてショットシェル
を装填することも可能だ。


[レピーターの開発競争]
ショットガン用のカートリッジ、ショットシェルは紙を筒状にして散弾を
入れたものが1830年代に仏でカシミール・ルフォーショーが発明しており、
拳銃,ライフルのメタルカートリッジより実用化は早かったのかもしれない。
1882年にポンプアクションは発明(クリストファー・スペンサー&
シルベスター・ローバー 発売は1884年らしいが、1855年代に発明、との
記事も見つかる)されており、それ以前にも回転式、レバーアクション
という銃(ライフル,拳銃)の構造自体はあった。

また1883年にはグリップ部をスライドさせて装填するバージェス・
ショットガン(Burgess Shotgun)が登場しており、ウィンチェスターは
このあとM1887を発売したことになる。

M1887はレバーアクションのショットガンとしては世界初だが、レピーター
(連発銃)としては決して新しいものではなく、むしろショットガンの分野で
出遅れまいと、発売を急いだ製品かも知れない。

当初設計の依頼を受けたジョン・ブローニング(以下J・ブローニング)は
ポンプアクションを主張したが、レバーアクションライフルで会社を
成功させたウィンチェスター側が譲らなかったという。

結果的には、後に出したポンアクションのM1893(更に改良されてM1897)が
成功し、レバーアクションの改良型M1901も短期間で消え、ショットガンは
ポンプアクションが定着することとなる。

そして、レバーアクションのショットガンといえばM1887、というように、
この形式で成功したモデルは戦前ではM1887だけとなっている。

1887/11
M1887(右下)とポンプアクション式の各種ショットガン。
左から、モスバーグM500、ウィンチェスターM12、イサカM37、
ウィンチェスターM1897。


[M1887の構造]
レバーアクションでも、ライフルでは直線状に動くボルト(尾栓)がチャンバー
(薬室=発射時カートリッジが入る場所)を塞ぐが、M1887では余りに
カートリッジが大きすぎるためか、レバーと同じくボルトが円運動する。

しかも、レバー操作で開いた機関部の上方からカートリッジ装填,排出を
行う、という他の方式を知る現在の目から見れば誠に苦しい構造で、
(煙の多い)黒色火薬のカートリッジを使ったこともあり、作動は繊細で
頻繁なメンテナンスを要求したという。

そして機関部はほぼ左右の側面板のみとなり、しかも他社との競争もあり
軽くしなければならないため、強度,耐久性に問題(といっても後に10ゲージ
型を作ったように、すぐに破壊するのではなく、歪みや伸びが、ガタつき、
作動不良の誘因になる、といった程度だと思うが)を残したのではないか。

1887/12
マルシンM1887で、レバー操作により機関部を開いたところ。
一部下部も開き、上下に空間が空く。
マガジン(弾倉)への装弾はこの状態で、チャンバー(薬室)下部へ
ショットシェルを押し込んでいかなければならない。


1887/16
各種のカートリッジ(弾薬)。
左から、32-20、44-40、30-30(ケースのみ)、12ゲージショットシェル、
発射済み(前方のクリンプが開いた)12ゲージショットシェル。
ショットガンのケースは紙,真鍮などからこのプラスチック製に変遷
しているが、散弾を保持する部分が前方に残るので、ケースから出ている
弾頭が無くなって全長が短くなるライフル,拳銃弾と異なり、このように
発射前より全長が長くなる。
そしてレピーターではこの長いケースを抜くだけの排出ストロークが必要になる。


それでもこれを形にしたJ・ブローニングはやはり天才かも知れない。
それは、この構造が彼の一連の作品と重複しない、という点からも伺える。

[天才J・ブローニング]
J・ブローニングは、自動装てん式の分野で機関銃からショットガンまで
幅広く特許を取得したが、手動式でもウィンチェスターM1892(M1894)
ライフルでは上下動する閂状のラグをロッキングに使っており、
ポンプアクションのショットガン、M1893(後に改良されてM1897)では
全く異なる手法を、と実に豊富なアイデアを持ち、それぞれに適した
システムを使い分けている。

1887/03
1/1で、J・ブローニング設計、ウィンチェスター製造の銃を。
左からM1897(タナカ モデルガン)、M1892(マルシン ガスガン)、
M1887(マルシン ガスガン)。


しかし彼の経歴の初期の作品とはいえ、M1887の形状、システムは
決して洗練されているとは言い難く、他の製品が長く作られているのに
比べ、生産期間が短い。

ウィンチェスターを大成功に導き、自ら拘ったレバーアクションは、
ライフルでも弾薬の小口径/尖頭化でチューブマガジンが使用で
きなくなったこと、カートリッジの大型化に対応するにはストロークに
限りがあること、などから20世紀に入ると急激に支持を失っていった。

18887/05
44-40(右の2発)と尖頭弾頭の30-06をチューブマガジンに沿って並べたところ。
尖頭弾頭では何らかの措置を講じないと弾頭がプライマー(雷管)に当たり、
暴発の危険がある。


1887/07
ウィンチェスターM1892ライフルとボルトアクションの三八式騎兵銃。
機関部下にマガジンを持ち、機関部も大きく開く。
ボルトアクション式では更にストロークを増やすことも容易で、20世紀
始めから現在まで手動式ライフルでは主流の形式となっている。


手動式連発銃では、ライフルのボルトアクションも19世紀末に実用化、
ウィンチェスターはショットガンではポンプアクションに、ライフルでは
ボルトアクションに切り替え、また軍用の自動装てん式ライフルでは
M1カービンを作るなど、その後も成功していくのだが、J・ブローニングと
ウィンチェスターは20世紀に入ると契約金支払い問題などから関係を
解消、J・ブローニングの自動装てん式ショットガンは欧州のFN社
のほか、ウィンチェスターのライバルであるレミントンで生産される、
という結果になった。

1887/06
1/1で、ウィンチェスターのライフル、ショットガンを。
左からM2カービン、M1897ショットガン、M1892ライフル、M1887ショットガン。


[適者生存]
様々な形質を持つ個体群のうち、最も環境に適したものが生存,
繁殖の機会を得られ、生き残っていく、という考えがあり、ちょうどこの
M1887が登場する少し前、哲学者ハーバード・スペンサーが発表、
チャールズ・ダーウィンがそれを進化論の原理として採用している。

銃の開発では、まずメーカーが意識して(当然だが)”よく売れるもの”
を選択する。
それは構造的により優れたもの、安く作れるもの、使いやすいもの、
などの要件が検討されるはずだが、今回のM1887のように、
経営(販売)側は、同社のライフルと共通の操作方式で相乗効果
を狙い、設計側はショットシェルの特殊性に着目して適した構造を
推す、という状態になり、結果としてこのように短命な”不適合”
(それでも多数作られ、メジャーになるほど売れたのだが)な商品
が生まれることもある。

現在では、自然界におけるそれぞれの個体の生存選択はほとんど
確率的に起こっており、適応形質はせいぜいその確率を少し上昇させる
に過ぎず、必ずしも環境の変化に最適な形質が選択されるのではなく、
確率的に生き残ったものが”適者“となる、と考えられているようだ。

くしくも企業が“恣意的”に取捨選択して製造する製品も、自然界で偶然
に発生し、生き残った”進化”の結果も、必ずしも”最も優れた形質”
ではない、ということだ。

[復活]
カートリッジの開発、ボルトアクションの登場、そして弾頭の尖頭化、
更に後には自動装填式の開発など、この時期の銃の進化は
目まぐるしく、メーカーも激しい開発,生き残り競争が展開された。

激しい製品の刷新は、逆に旧いものへの回顧趣味という“新しい環境”
を生み、第二次世界大戦後のウエスタン・ブームでは、前世期の銃が
もてはやされる事態が発生する。

米国ではショットガンのジャンルでいまだにレバーアクションが存在し、
マーリン社などが今も作っているようだ。

また、410ゲージなどの小口径ではライフルを基にしたショットガンがあり、
これはライフルの所持許可が厳しい日本でも人気があるようだ。

性能的には、レバーアクションのライフル,ショットガンは、もはや強者でも
適者でもない。

そして、現在は、その時代を生きた人間ではない(もはや郷愁ではない)、
また西部劇などでその時代を知った訳でもない者が、今度は新しい
アクション映画で、レバーアクションショットガンを知るというように、
既に第三世代に影響は及んでいる。

映画「ターミネーター2」も、西部劇で活躍したジョン・ウェインへの
オマージュとして、馬上でレバーアクションライフルを回転させ操作する様を
オートバイとショットガンに置き換えて再現したものだ。

1887/13
1/6で、「ターミネーター2」に使われたショットガンを2つ。
左はラスト近くで使われた現代の標準的ショットガン、レミントンM870
(ピストルグリップ付き)。
右が前半からターミネーターが使うM1887のソウドオフ。


M1887は一度廃れたが故に、逆に新鮮味を持って受け入れられ、
トイガン化するほどの人気を得たのではないだろうか。

そう考えると、現代は“過剰な淘汰”が進んだために、逆に“不適者生存”
“再評価”を生んでいるのかも知れない。

1887/09

しばらく更新が滞ってしまい、楽しみに待ってくれていた方々には
申し訳ない。

次回の予定もまだ決められないのだが、ネタだけはまだまだあるので、
気長にひとつ宜しく。

では、今回はここらへんで。

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今回は、日本の自衛隊などで使われている89式小銃を。

89/01

[概要]
89式小銃は、日本の豊和工業が開発,生産するアサルトライフル(突撃銃=
通常の小銃弾より弱装の弾薬を使い、全自動でも射撃できる銃)である。

弾薬はNATO標準のSS109と同等の89式実包(5.56mm口径)で、ガス圧利用
式、弾倉は20連、30連の2種があり、これは国際的なSTANAG規格に
順じており、米軍のM16/M4カービン用も使えるという。但し残弾確認穴と残弾数
の刻印があり、独自のものとなっている。

現在、89式小銃は自衛隊に止まらず、海上保安庁や警察の特殊部隊にも
配備されているという。

89/02
1/1で、キャロットのR89”Buddy”。

[1/1]
今回のリアルサイズトイガンは、キャロット製の電動ガンだ。
キャロットはまず本体別の外装キットで89式をモデルアップしたが、2002年に東京
マルイ製のM4A1の内部メカを使い、自製の外装を付けて「89R“BUDDY”」の名
で販売した(この仕様でキットも販売している)。

M4系のメカボックスを使うため、右側操作のセレクターには苦労のあとが伺えるが、
バースト機構は再現されていない。
バッテリーはミニサイズで、フォアアーム内に収納する。開くのは片側だけだが、
ガスレギュレータを引くことでロックが解除される。これは後発のマルイ製より簡単
だと思う。

89/14
左上;フラッシュハイダー(消炎器)        右上;ストック
左下;ガスレギュレーター(フロントサイトの下) 右下;リアサイト


バレルは悪用防止のため一部切り欠かれているが、金属製で、フラッシュハイダー
は削り出し、フロントサイトやバイポッド周りはロストワックス製法のスチール
らしい。

特にフラッシュハイダーはキャストのマルイより良く出来ていると思う。
但しボディはプラ製で、金属製のマルイと比べると軽そうだ(全体としては200g
ほどしか違わない)。ぶつけたりしなければ強度上問題はなさそうだが。

バイポッドの取り外し機能はダミーだが、その気になれば分解して外すことは可能
だと思う。

リアサイトは無可動だが別部品なので、マルイ製が手に入るなら換装も可能かも
知れない。

マガジンはM4/M16用を流用しているが、残弾確認の為の穴、残弾数の文字を
追加工している。
付属してきたのはゼンマイ巻上げ式の多弾数タイプだが、M16用ノーマルタイプを
買って同様の加工をしてみた。
30連型以外に、20連型も作れるが、マルイ製89用は使えないようだ。

89/04
機関部右側。セフティ兼セレクターは「3」(3連バースト)位置。

89/17
機関部左側。マガジンハウジングには両側ともスリット(切り欠き)があり、
その後方にボルトストップがある。


[1/6]
日本製で自衛隊の装備、という点で人気があるのか、1/6でも複数のモデルが手
に入っている。

89/03
1/1と1/6の比較。

ひとつはプラッツ(ドラゴン)が手がける自衛隊フィギュアの装備で、他にはバイスの
スモールアームズコレクションに含まれていたものだ。
バイスのものでは、通常の89式小銃と、脱落防止仕様という変わったものの2種が
ある。

脱落防止仕様では、銃口に赤いマズルキャップ。フラッシュハイダー、フォアアーム、
ストックなどにビニールテープが巻かれ、マガジンは紐でトリガーガードと結ばれ、
空薬莢を回収する袋「薬莢受け」が取り付けられている。

また通常仕様では、銃剣がセットされていた。
他にもアーモリー製で折り曲げ銃床型があるらしいのだが、未入手である。

89/13
1/6で、左からプラッツ、バイスの標準型、バイスの脱落防止仕様。

[開発の歴史]
豊和工業は以前自衛隊に64式小銃を納めていたが、この後継として1966年から
新型アサルトライフルの開発は始まったという。

89/09
1/6で、89式小銃(左)、64式小銃(右)。

1969年(契約は1965年との説もある)から豊和工業はアーマライトAR180の
ライセンス生産を始めており、これが新型アサルトライフルに少なからず影響を
与えた(もしくはその全自動可能型であるAR18の採用を目指していたのかも
知れない)と思われるが、民間用のAR180が改造されテロリストに使用される、
という事態を受け、製造,輸出が停止する。

一方、NATOでの小口径小銃弾採用の動きを反映して1974年から防衛庁でも
研究が始まり、これに豊和工業が協力する形で開発が続き、AR18に独自の
改良を加えた発展型を専用開発、1989年に採用された。

略称は89R、愛称は公募され、バディーという名に決まったが、市販されるモデル
ではないため、この名で呼ばれることはないと思う。公募の際には広報に使う
ということらしかったのだが。

本体には「89式5.56mm小銃」と刻印されているが、最近では海外での使用も
考慮してか、Type89R(RはRifleの頭文字か)となっているという。

[装備]
89式小銃の発射形式はセミ(単発)3点バースト(3連射)、フル(全自動)の
3種類から選択できる。
これはSIGのSG550シリーズなどと同じで、米軍ではM16A2がバーストを採用
していた。
しかしM16A2は全自動が無く、A3ではバーストモード無し(セミ/フル)と
なっている。

89/10
1/6で、89式小銃(左)、M16A1(右)。

89式小銃に戻ると、他にも細かいところまで凝っており、左右非対称で頬付け
しやすく配慮したストック、取り外し可能で折り畳み式のバイポッド(ニ脚)、空砲や
グレネード(投擲する爆弾)使用を想定(06式小銃てき弾というものがあるが、
これは実弾を使うらしい)したのか、ガスレギュレーター(規制子)まで備えている。

バリエーションとして空挺(パラシュート)部隊,車両搭乗兵用に折り曲げ式
ストックを装備したものがある。

他にイラク派遣時に左側から操作できるセレクター(切替)レバーが付けられたが、
帰還に際して取り外したとか。もっとも、最近では左側レバーの装備が正式に
決まり、配備されつつあるという。

また光学照準器やフォアグリップを個人、もしくは部隊で調達することもあるようだ。
珍しいものではカービン(騎銃=通常より短い銃身)モデルも試作されていると
いう。
89式小銃は現在も調達が続けられているようだが、既に耐用年数を超えて廃棄
になるものも出始めているという。

89/15
1/6で、左からAUG、L85A1、89式小銃(着剣状態)。
AUGとL85はブルパップという比較的新しい形式で、一時期各国がこぞって採用した。
ブルパップは機関部をストック内に持つのが特徴で、L85は89式と同じくAR18を元に
開発されている。


[AR18との類似点]
元となったAR180は英国で生産したものより、豊和が作ったもののほうが作りが
良かったらしく、米国では「AR180は豊和製に限る」とまで言われているとか。
今回AR18,180のトイガンが入手できておらず、画像は他で参照いただくことで
勘弁していただきたいが、両者はかなり違いがある。

一部ではAR18の部品流用が可能、とも書かれていたりするが、外観部は全て
違い、機関部でもボルトハンドルなどは別モノである。

また89式小銃のグリップ(銃把)とトリガーガードが一体となった部品、ストック
(銃床)、フォアアーム(先台)などは樹脂で成形されている。
AR18もグリップ,ストック,フォアアームは樹脂製だが、グリップはスチール
プレスのトリガーガードと別になっている。

基本的な作動方式がガスピストン、上下レシーバーがプレス鋼板、という点では
AR18(AR180)に似るが、これは東側のAK74シリーズでも同じ(AK47は製作
技術,耐久性からか削り出しレシーバーに戻されたが)で、もともと突撃銃という
名を最初に冠されたStg44がこの構成だ。

各部品ではロストワックス製法が使われているらしく、とことんプレス加工を利用
しているAR18とは異なる部分だ。

アーマライトのアサルトライフル、AR15(制式名M16)もAR18も、分解は機関部
前方のヒンジを支点に後方が持ち上がる形で行うが、89式もこれを踏襲
している。

[何を変えたかったのか]
防衛庁,豊和工業は、AR18では技術的発展性に限界があるとして、89式小銃
の開発を行った、ということになっている。

上記の違いからすると、大きな変更点はバイポッド、3点バースト、ガス
レギュレーターくらいであり、主にコントロール(命中精度)とグレネード対応が
目的、とも思える。

89/18
1/1で、バイポッド展開状態。
伏射姿勢での安定度を増すが、歩兵の小銃に標準装備される例は
日本以外ではスイスSG550,仏のFAMASくらいで、決して多くない。


しかし、バイポッドはM16でも後付け用があり、バーストもM16A2が実現している。
AR18でも、内部機構の変更でバーストは可能だった可能性は高い。
グレネードに至っては、現在主流はアドオン(別付け)であり、外観も含め、
これほど変更する理由にはならないと思う。

また逆に、細かいマガジンの確認穴、機関部のダストカバー廃止などは、砂塵の
侵入を許し易くなっていると思われる。

元自衛隊員の声では、89式小銃のトリガーフィーリングは悪く、SIGなどには遠く
及ばないという。

他にも、リアサイトはゴーストリング型(環状)だが、左右にガードがなく、照準面
が最も高い位置に突き出している。
サイトは厚みがあり、すぐに凹んだり、折れたりすることはないようだが、なぜ
保護しないのか、理解に苦しむところだ。

マガジンキャッチボタンに至っては、米軍のM16が周囲を盛り上げてガードとした
改良型(A1)を作っているにも関わらず、ボタンが飛び出したままになっている。
89式小銃はスリング(吊皮)金具が銃の左側に付けられており、右側にあるこの
ボタンは、匍匐前進時などに誤って触れ、マガジンを紛失しやすいと思われる
のだが。

更に、AR18の折り畳み式ストックを固定式に変更したものの、空挺部隊用など
で結局折り畳み式ストック仕様を追加しており、ここなどは強度はともかく
”やらなくて良かった”変更だった、と言い切っても良いのではないか。

豊和工業はM1カービンのスポーター(民間用)モデルや、ウェザビーにOEM供給
していたボルトアクションなど、ライフルのバリエーションも多く、純粋に一般向け
輸出用にAR180をライセンス生産した、ともとれるが、やはり時期的にいっても
”自衛隊用”の狙いがあったのではないか。

機種選定も、ライセンス生産に応じるところ、というだけならSIG,H&Kでも良かった
かもしれない。
あえてAR18を選んだとしたなら、それは当時どこの軍にも採用されていないから、
まず一般向けとして生産,輸出することに反対が無い、という思惑もあった
のではないか。

開発費を浮かせ、また生産も米国一般向けとほぼ同じなら、安く作ることが可能
になる。
そしてその絵は、もしかするとその利益を得る”調達”側が描いたのではないか。

その計画が頓挫したため、今度は”できるだけAR18とは違う”新型を
独自開発し、逆に開発費を含めて高い調達価格の”言い訳”とした、と考える
のは穿ち過ぎだろうか。

89/16
1/6で、左から89式小銃、SCAR、G36、SG551。
これらはブルパップでない最近のアサルトライフルだが、全てストックが折り畳み式だ。


そして専用設計,小数毎年調達(後に一括調達も行われたらしいが)の為に
軍用としては異常に高価なライフルになっているという。

但し、スナイパーライフルなどは米国レミントンから輸入しているものが、米国市場
価格からすると数倍の高値で調達されており、どうやらコスト削減は国産でも輸入
(ライセンス生産)でも変わらなかったのかもしれない。
だとすると、非武装の幻想や武器輸出への抵抗など、自業自得の面もあるが、
今のところ一番の被害者は納税者、ではないだろうか。

[実物から得られる情報]
いきなりだが、通信販売,ネットオークションなどで「失敗した」,「思っていたものと
違った」という経験は無いだろうか。
このようなブログをやっていて言うのは何だが、私は画像だけでトイガンなどを
入手して、そのように思った事があるし、やはりその危険度の分、特に中古などは
高くても店頭で見てから購入したいと思っている。

少し前、だが、自衛隊が展示した銃を触らせたのは銃刀法違反、として担当
大臣や自衛隊幹部を告訴、これを受けたのか、はともかく、今まで実施してきた
銃操作体験を全て取りやめた、という報道があった。

非常に残念である。
展示用の銃は、撃針が外されるなど、撃てない(しかも撃発装置が無いなら、
真正銃とはいえないはずだ)もので、安全に配慮されていたとも聞く。

上記のように、自衛隊の調達品は非常に高い可能性があり、それを確認する
方法として、やはり実物を見る(触る)ことは重要な手段である。

国家を介しているとはいえ、それらを”買っている”納税者は、厳しい目でチェック
しなければならず、逆に関係省庁には、今回のように外部からの圧力があり、
それに応えた、という形で(展示を)引っ込めてしまえる、というのは”都合が
良い”のだ。

銃の展示を違法だと訴えた輩は、本来の意味でのシビリアン・コントロールに反し、
見えないところでの予算の無駄使い、一般の目に入らない装備の調達が進む
口実を作ったという自らの愚には恐らく思いも至らないのではないかと思う。

某元幕僚長の言葉ではないが、敵が反対しているなら正しい政策、というのは
一理あると思う。

もっとも、海外の軍隊にまず侵略の放棄(つまり自衛隊化)をさせることなく
自衛隊の方から無くせ、というような勢力は、論理的に国の存亡を考えている
のではなく、子供じみた”嫌い”の感情だけで叫んでいるに過ぎず、今回の事例も
それを証明しているのかも知れないが。

890/11

私的な事情だが、まとまった記事作成の時間がなかなかとれず、
また大きく間隔が空いてしまった。
その間も別ブログは続けていたのだが(笑)。

楽しみに待ってくれている方や、検索で訪れてくれた方々には申し訳ない。
さて、次回だが、S&WのリボルバーかFNのオートを、と思っている。
それではここらへんで。

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今回は、WWⅡ(第二次世界大戦)期の英国を支えた、ともいえるSMG、
ステン(STEN)を。

sten/01

[概要]
ステン・マシンカービンは英エンフィールド造兵廠で1941年に開発された
オープンボルト(ボルトが後退し、機関部が開いた位置から発射サイクル
が始まる)方式のSMG(サブマシンガン=短機関銃。引き金を引いている間、
装弾数の範囲で拳銃弾が連続発射される個人携帯可能な銃)である。
英陸軍初の自国製制式SMGであり、不利な戦局を反映し、省力化を進め
生産性を高める設計で、MkⅠ~MkⅥのバリエーションに加え、細かな仕様
違いは多種にわたり、またカナダなど国外でも生産された。

[1/1トイガン]
ステンのトイガンとしてはCMCがMkⅡ,MGCがMkⅢのモデルガンを作って
いたが、法規制により鉄製のモデルガンが作れなくなり、ハドソンが
亜鉛でMkⅡを作るのみとなった。そのハドソンも廃業したため、現在
モデルガンは全て絶版状態である。
またLSもエアーコッキング、ガスガンを作っていたが、これらも現在は
中古以外は入手できないと思う。
しかし、電動ガンでは複数の海外メーカーのものが入ってきていたと
思う。

手元にあるのは、ハドソンのMkⅡで、これは廃業後に中古で入手した
ものだ。

sten/02

[1/6]
1/6では、MkⅡのT字型ストック付き、MkⅥ(サイレンサー付き)、
それからMkⅡのストックが違うものの3つが手元にある。
MkⅥには予備マガジン(弾倉)とマガジンローダー(装填器具)も
付属してきた。

いずれも単品、ルーズパーツとして入手しており、出処は定かでないが
MkⅥはドラゴン製と思われる。

MkⅡはハンドガード部分を金色がかった別色で塗るなど、細かく
作り込まれており、MkⅥに至っては布がサイレンサー部に
取り付けられている。

sten/03
左から、1/1,MkⅡ,MkⅥ,そして正体不明のもの。

[ダンケルクの敗走]
1940年、英仏軍は独のフランス侵攻の前に新型のブレン軽機関銃を含む
武器弾薬の多くを放棄して敗走、更に空爆で英国内の武器製造施設にも
大きな損害を生じ、火急的に兵器の生産体制を立て直す必要が生じた。

特に機関銃や個人装備のライフルの不足は深刻であり、また独の空挺部隊
が使用していたMP38,MP40などのSMGに対抗する装備を考える必要が
あった。

sten/05
1/6で英軍の制式ライフル、SMLE(ショート・マガジン・リー・エンフィールド 左)と。

[英国でのSMG開発]
英国ではSMGを評価しておらず、これまで海軍陸戦隊が採用していた程度
だったという。
しかし、SMGを採用する諸外国の動きは知っており、伊のビラール・ペロサ、
独のMP18,EMPや米のトンプソンはもちろん、フィンランドのスオミ、
スペインのスターなど、ともかく一通りのSMGをテストしていた、という。

sten/04
これらも1/6で左から、トンプソンM1928、MP28、ステンMkⅥ。

ステンを開発する前に、BSA(バーミンガムスモールアームズ)が海軍の
要請でSMGを開発している。
そしてステンと同時期には、ランチェスターSMGだけでなく、チェコの
Vasely氏設計によるV40も同じくBSAで作られるなど、複数のSMG開発が
進行していた。
また、米からトンプソンM1928を調達し、後にはM3グリースガンを9ミリ
に改修したものを供給されている。

[シェパードとターピン]
STENの名は、開発者のシェパード(S)、ターピン(T)、そして
エンフィールド(EN)からきているという。

レジナルド.V.シェパードは英軍からエンフィールド造兵廠へ入り、
いったん退役したのち、BSAでSMGの開発に協力していたらしい。

彼はエンフィールド時代、主に検査部門にいたらしく、当時の同僚で設計
部門にいたハロルド.J.ターピンを呼び寄せ、共同で開発にあたった。

二人は当時47,48歳で年も近く、うまが合ったのかも知れない。
古巣のエンフィールドは、この二人が英陸軍新型SMGの開発に適任と考え、
呼び戻して1940年末から急ピッチで作業に入り、年明け早々には(開始
から何と36日後)試作第一号となるT40/1が完成、
”カービン・マシン・ステン・MkⅠ”として制定される。

[独創性]
新SMGのカートリッジは、敵国である独の制式、9ミリパラベラムだ。
これは英国に適当な制式カートリッジが無かったから、鹵獲した場合に
(実際在庫があったとか?)流用が可能だから、という理由で語られるが、
マガジンまでほとんどMP38,M40と同じものとしており、開発時間の短縮
のため、基礎的な部分は敵側の兵器から頂いた、というところなのでは
ないだろうか。

sten/07
ハドソン ステンMkⅡのマガジンにダミーカートを入れたところ。
画像のようにダブルカーラムシングルフィード(出口では単列になる)型だ。


また、生産性向上のためにレシーバー(機関部)を鉄パイプにした、
などの変更点はあるものの、丸いレシーバーは独のSMGの形状、
そしてトリガー(引き金)の前にフォアアームを付け、そこに
バーチカル(垂直)グリップを配したMkⅠ型のデザインは、EMPのそれに
影響を受けているものと思われる。

なによりボルト(遊底=機関部の閉鎖を行う部品)の形状、トリガーシステム
など、内部構造もMP38,MP40にそっくりだった。
つまり、ステンは独SMGの生産性を向上させた改良型だった、ともいえる。
手っ取り早く信頼性ある製品にするには、オリジナルにこだわるより
コピーが最も良い、という判断だったのかもしれない。

sten/06
再び1/6で、左からM3グリースガン、ステン、MP40。

しかし、単に複数のSMGの要素を寄せ集めただけでは、まともな製品が
出来る訳はない。

既にBSAは各国のSMGを導入する試作を重ねており、エンフィールドの2人は
造兵廠の生産技術を伝えるだけでなく、こういったノウハウも吸収
していた(そのための派遣だった)のかもしれない。

またシェパードとターピンは既にBSA社用以外の新型SMGについて、
アイデアを密かにまとめつつあったのかもしれない。

ともかく短期間で破綻の無い、生産性の良い製品を作り上げたのは
驚くべきことである。

ステンは単なるデッドコピーではなく、MP40のテレスコピックタイプ
(望遠鏡のように大きさの異なる筒を重ねて伸縮する機構)の
リコイル(反動)ユニット、バレルレスト(銃身を何かで支える場合の
保護材)、フォールディング(折り畳み)ストックなどは廃し、素材も
ベークライト(樹脂)は使わず木材とした(更に改良型のMkⅡでは
完全に木材を廃している)。

ステンは省力型だが、何もかも徹底的に無くしたわけではなく、独立した
セレクターを持っており、セミオート(引き金を引くと一発のみの発射)
モードもあり、MkⅠではラッパ型のコンペンセイター兼フラッシュ
ハイダー(フラッシュエリミネーターと呼んでいたようだ)、
折りたたみ式のバーチカルグリップが装備されていたし、MkⅡからは
サイレンサー(消音器)付属型も作られた。

このサイレンサー付きステンは、独も脅威を覚えたと言われ、
ウェルロッドやグリースガンと共に軍においてサイレンサーを普及させる
契機になったように思う。

sten/11
左の上下はセレクターの作用。セレクターのボタンを押す(赤の矢印)と、
トリガーバーも押されてトリガーを支点に傾き、横に移動、
ボルトの突起でディスコネクト(シアとの関係を断つ)しなくなる(青の矢印)。

右上は逆にレシーバーから見えるシア(赤の矢印)とトリガーバー(青の矢印)。
共にボルトの突起と当たる(シアはボルトを止め、トリガーバーはヂィスコネクトする)。

右下はボルトを取り出したところ。赤い矢印で示したところが、シア、トリガーバーと
接触する。


安全面では、まず後退(発射準備)位置より少しボルトを引いて
レシーバーの溝にボルトハンドルを引っかけて安全装置としていたが、
MkⅡではマガジンハウジングを回転させるとエジェクション(薬莢の排出)
ポートが閉じ(マガジンも射撃位置まで押し込めない)、防塵対策(ボルト
ハンドルの部分は開いているが)にもなっていた。

更にMkⅡの途中からボルト前進位置でボルトハンドルを押し込んで
ロックする機構も追加されたが、これもMP40同様とはいえ、ステンの
方がシンプルな構造だ。

sten/08
左上はボルトハンドルを後方で溝にかけたところ。
左下はマガジンハウジングを回したところ。矢印で示しているところがエジェクションポート。
右の上下はボルト前進位置でのセフティ。上が解除時、下がロック時。下の青い矢印で示した
ところに、ボルトハンドルが突き出している。


他に構成上目立つのは横に配置したマガジンで、これはMP28(MP18)
等の比較的初期のSMGが原形と思われる。
これを踏襲したのはプローン(伏せ姿勢)や塹壕などで低く構えられる
よう配慮したようだ。
英国では後のスターリングSMGでもこのレイアウトを続けている。

sten/14
1/6で、スターリング(着剣状態 左)とステンMkⅡ(右)。

外観上は、MP40が未来的、とでもいいたいほど、非常に洗練されたもの
になっているのに対し、ステンは正にパイプ溶接の、銃器史上最も簡素な、
省力型の素っ気ないものだ。
特に目立つのはストックで、MkⅠでは2本のパイプにバットプレートと
なる鉄板を溶接し、MkⅡではスケルトンタイプの曲げ加工の一体型、
一本の鉄パイプに鉄片2枚を溶接しただけのT字型、スケルトンタイプの
ピストルグリップなど複数のものが作られているが、どれも他に類を
見ないほど簡単な作りだ。

WWⅡ期末期に日本でも物資,製造能力の問題から極力簡素化された銃が
作られたが、元々の設計から簡素型としたわけではないため、ここまで
簡単な作りのものにはなっていない。

米国もM3グリースガンの他に、リバレイター(FP-45)ピストルを
作ったが、プレス成型でグリップ部を形成しており、板切れ一枚、という
究極の省力型はステンくらいである。

しかし、ストックは頬づけすることは出来ないものの、実用上差支えない
レベルで、グリップも快適とはいえないが、問題なく使える。

sten/09
1/1で、T字型ストック。型式名はバットNo.2 Mk.2。

ストックはワンタッチで外すことが出来、回転式のマガジンハウジングと
相まってコンパクトに運搬できる。

sten/10
1/1で、ストックを外し、マガジンを抜いてマガジンハウジングを下向きに回転した状態。

分解もバレルはヒートガードを回すだけ、ボルトはストックを外し後部の
パーツを回転させ、ボルトハンドルを抜けば、スプリングと共に後方に
抜けてくる。
射撃後の手入れはそこまででOKで、必要なところがシンプルに分解できる、
という点では後発の米M3グリースガン以上かもしれない。

[ステンチガン]
ステンは、MkⅡだけでも200万丁以上が製造され、正に”英国を救った”
SMGだが、兵士たちの評判は芳しいものではなかったという。

ステンには様々なニックネームが付けられたが、「ステンチ(臭い)ガン」,
「テンピー(10ペニー)ガン」,「ウールワース(安売り店)ガン」そして
「鉛管工のお気に入り」など、ともかく全く褒めたものがない。

sten/12
1/1で、トリガー部を下からみたところ。
大きく空間が空いており、トリガースプリングが見える。


当初、マガジンの給弾、レシーバーのボルト収納部分の溶接個所などに
不具合があり、これが評価を下げる要因になったと思われる。

ステンのレシーバーは、MkⅠではパイプを加工していたが、MkⅡで
ボルトハンドル用の長穴などを開けた後に板を円状に丸めて溶接して
作ったらしいので、溶接範囲は広く(後にドイツがコピー品を作った
際には、長穴,エジェクションポート部で継いだために、溶接長さを
減少させることが可能になったという)、ボルトが動く範囲の溶接個所の
仕上げが良くないと、引っかかって作動しなくなることがあったようだ。

また、レシーバー前部を溶接せず開けていたために異物がトリガーメカ部
に入り込んだため、後には薄い板を溶接して対策したという。
それでも、上の画像のように、トリガー部などは大きな空間が残っている。

鉄板を溶接しただけの簡素なグリップや、表面仕上げが磨きではなく
溶接跡もそのまま、木材すら使われていない姿がみすぼらしく見えた
可能性も(無可動実銃では機関部がブルー,ストックが黒色塗装で、
ヒートガードもガンブルーでない可能性があるものが見られ、
MkⅡではパーカーライジングなのか全体が艶消しの灰色のものも
見かける)ある。

英国は多くの男性を兵士として徴用したこともあり、当時工場では多くの
女性が働いていた。組み立てだけでなく、通常あまり女性がやらない
(火傷などの危険がある)レシーバーの溶接まで行っている写真、動画が
残っている。

ステンは一般の工業製品を作る工場で生産可能な方式がとられ、実際に
ミシンメーカーのシンガー、玩具メーカーのレイネス・ブラザーが
作っている。
正に”オモチャ屋の銃”である。

ステンは確かに光り輝くウォールナットと深いガンブルーに彩られた、
居間に飾っておくに相応しい銃ではないが、短期間に大量に作れ、近接
戦闘に特化した”優れた兵器”で、故に何百万丁も作られ、
自国外どころか敵国で技術に関しては世界最高を標榜していた独でさえ
コピーした(立場が逆転し、今度は独が追い詰められた、という事情は
あるが)のではないだろうか。

確かにそれまでの銃のイメージからはほど遠く、戦後アーマライトが
アルミとプラスチックのARシリーズの販売で苦労し、軍でも当初不評
だったように、”大きな転換点”は、直ぐに受け入れられるものでは
なかったろう。

しかしこの後、米はM3グリースガンで鋼板プレスを更に押し進め、
自国のSMGでもスターリングのレイアウト、構成には強い影響を及ぼし、
それどころかカール・グスタフやそのコピーであるS&WのM76などが
円筒パイプと曲げた鋼板を溶接で組み合わせた構成を踏襲するなど、
影響力という点では、MP40よりも大きいかも知れない。

シェパードとターピンは、独創的な機構は作らなかったが、
生産性という、そのとき一番重要視された要求を満たした。

彼らの名を冠されたこのSMGは、決して”臭い銃”ではなく、一つの
究極、そして革新ではないだろうか。

[3Dプリンタ銃]
最近、日本でも3Dプリンタを悪用し、真正銃を作って逮捕される事例が
起こった。

これを機に立法側(とその意向をそのまま垂れ流す一部マスコミ)では
3Dプリンタを危険視し、何らかの法整備を考えているようである。

しかし、銃は3Dプリンタのような”特別な装置”が無くても作れるもので、
極端な話、日曜大工の工具と部材で制作は可能だ(火縄銃なども立派な
真正銃だ)。

銃の製造の危機、それは今に始まったことではない。
あのような大きくて機能も劣った原始的なモノ(金属探知機に反応しない、
という点は優れている、といえるが)ではなく、本格的な銃が摘発された
事例も枚挙にいとまが無い。

そして銃の製造はそれ自体が既に重罪となっている。

機械を規制する、というなら、既に各企業,家庭に普通にある
電動ドライバーも取り締まるか、ユーザーが毎日何を作っているか確認
しなければならない。

そして板金,溶接までできれば、もうほとんどこのステンが作れる
のである。

犯罪を抑制するためには、様々な方策があると思うが、例えば真正銃を
求めるなら、海外で射撃体験する費用と、罰金,懲役とその間の不利益
を考えれば、どれだけ馬鹿な事か、は判ると思うのだが。

もし、費用対効果(不利益)ではない、というなら、それは子供の反抗期
と同じ(子供の場合、自我の確立に意味があるが)、社会に対する反発心
だけ、ではないだろうか。

武器に対する法制が間違っている、個人の武装する権利を日本でも保障
すべきだ、というなら、国民の同意のもと、過半数の国会議員の賛成を
得るべきだ。

法改正に依らず、自ら法を破るのはテロと同じであり、逆効果しか
呼ばないと思う。

常々銃=悪、ではないと言い続け、武器を無くせば平和だ、とかいう妄言
に苦言を呈してきた身としては、またガンファンの肩身が狭くなるような
今回の事件は残念でならないし、犯行に対しては強い怒りを覚えるが、
一方で悪用する人間の罪を、全く意志の無い、未来ある生産技術に転嫁し、
萎縮させることの無いよう、冷静な判断を願うものである。

sten/13

今回もまた脱線してしまったが、長い話にお付き合い頂き感謝。
最近毎度のことで申し訳ないが、更新が滞りがちになってしまっている。
しかし次回記事も鋭意作成中なので、また宜しく。

参考文献;月刊Gun 2008年6月~2009年12月号、2011年2月~6月号
      GunProfessionals 2014年6月号

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今回は第二次世界大戦(WWⅡ)期を代表する、いやSMG(サブマシンガン
=短機関銃)を代表する存在といってもいいかも知れないほどの有名
モデル、MP-40を取り上げたい。

mp40/01

〔概要〕
MP-40はそれまで銃に標準的に用いられてきた木材を廃してプレス鋼板と
ベークライト(熱硬化型の合成樹脂、コンポジット(複合)材との記載も
ある)を用いて作られ、9mmルガー弾32発の大容量ボックスマガジン
(複列式箱型弾倉)、空気の圧縮を利用して緩衝,遅延機能を持たせた
テレスコピックタイプ(円筒引き出し式)のリコイル(反動)ユニット、
従来機よりコンパクトになる折りたたみ式のストック(銃床)など、多く
の斬新な特徴を持つSMGだ。

先に制定されたMP-38の改良型として作られ、ナチス政権下のドイツで
これらSMGは機動性と火力の大きさ(連射性能)を大いに発揮し、連合国
側が対抗のためステン,M3グリースガンを開発、大量生産して装備するなど
大きな影響を与えた。

mp40/15
タナカ ガスガンのルガーP08(左)とマルシン モデルガンMP40/Ⅰ。
手前にあるのが、9×19mmルガー(パラベラム)弾のダミーカート。
実銃ではSMG用には強装弾が使われたとも聞く。


〔1/1〕
モデルガンのMP-40は、金属モデルでMGC,中田商店(製造はTRC,
マルシン)、それを引き継いで改良したマルシンがああった。
その後、規制を受けてABS樹脂でマルシンが改良版を作り、これを後に
HW樹脂製(バレル=銃身は強度確保のためABSらしい)としている。

このマルシンのモデルガンは最も多く作られたとされるMP-40/Ⅰで、
ABSとHW共にキット化され、廉価版として普及している。

マルシンは、このモデルガンをもとにエアガン化、現在もガスBLKモデル
を発売しているほか、MP-41も作っていた。
エアガンでは、TOPが電動ガン、アサヒファイアアームズがガスガンを
発売していたほか、現在は海外製も入ってきているようだ。

今回登場させたのは、マルシンのABS製モデルガン。
MP-38,MP-40の特長である、テレスコピックタイプのリコイルユニット
や、MP-40/Ⅰになって改良された2ピースのボルトハンドル(コッキング
ピース=槓桿)も再現されている。

mp40/02
マルシン MP40/Ⅰとカートリッジ。
カートリッジは同社得意のプラグファイヤー方式。


mp40/03
リコイルユニット(左上)、ストック(右上)、ボルト後退位置のセフティ(左下)、
100/200m切り替え式のリアサイト。


〔1/6〕
1/6は各社から出ているが、F-Toysのワールドアームズコレクション
という食玩が充実している。
これは模型製作がドラゴンらしい。

機種はEMP,MP-41,MP-40,MP-38,MP-18(中身はMP28だと思われる)
そしてMP-40Ⅱという豪華なラインナップで、作りの細かさ、ボルト作動
やマガジン着脱可能など、内容も充実している。

シークレットはソビエトのPPshで、これはドイツ製モデルを期待していた
向きには意外かも。
このシリーズ、発売からもう長く経つがVol1が出たきりで、実質単発の
企画になってしまっている。

食玩では、現在も航空機や戦車が発売されているが、1/6の銃器はこの
シリーズ発売当時各社競って出てきたきり、で現在は全く出てこない。

もっとも、現在は1/6ミリタリーフィギュアの装備用別売りの製品があり、
金属を多用し更に凝った作りのライフルなどが、高価だが売られている。
MP-40も各社から出ており、今回使ったMP40/Ⅰも出所不明だが、
メディコムトイが出した「犬狼伝説 プロテクトギア 鷲尾 翠」に付属
していたものではないか、とも思う。

mp40/05
1/1と1/6で、MP-40/Ⅰ。 1/6は出所不明だが、全体にシルバー塗装が施されている。

〔前史〕
MP-40の起源は第一次世界大戦期のMP-18まで遡る。
当時銃架に据付けられた機関銃と塹壕による戦線の膠着を打破するため、
機動性の高いフルオート(弾倉に弾がある限り引き金を引き続けるだけで
連続して射撃できる)の銃が望まれ、ベルグマン社で開発されたものが
M-18として採用される。

開発にはテオドール・ベルグマン、ルイス,ヒューゴのシュマイザー親子、
オットー・ブラウスベッターなどが関わり、制式拳銃P08用の32連スネイル
(巻貝型)マガジンを使い、発射速度は350~450発/分と現代のSMGの平均
より低くされていた。

MP-18は個人携行かつ両手保持(脚による保持ではない)で使える軽量
小型さが特徴である。

従来のライフルと同じく木製のストック(銃床)を持ち、これがフォア
エンド(先台:一方の手で銃の先を保持するところ)を兼ねていたが、
このコンパクトさは当時の制式ライフルはもちろん、カービン(騎兵用
などに短くしたライフル)とも比較にならない。

MP-18の重量は決して軽くはないが、堅牢で機構もシンプルで泥などにも
強く、拳銃やそれにストックを付けたものより塹壕戦には適していた。

戦争終結までに配備されたMP-18は1万丁ほどらしいが、その威力に脅威
を感じた連合国は戦争終結後ベルサイユ条約でドイツにSMGの保有を
禁じた。

このためいったんドイツ国内でのSMG開発は止まったが、国内の大手銃器
メーカーは海外にダミー会社を設立、開発を続けたという。

H・シュマイザーはベルグマン社からハーネル社に移り、MP-18を改良して
MP-28(箱型弾倉,セミ/フルセレクター付き)を作る。
このMP-28はドイツ警察、武装親衛隊(SS)に採用された。

一方エルフルト・マシーネン(エルマ)社はハインリッヒ・フォルマーが
設計し製造していたVMPi(フォルマー・マシーネン・ピストーレ)の製造
権を買い、EMPとして生産を始める。

mp40/07
1/6で、先述のワールドアームズコレクションから
左からMP-28、EMPと出所不明のMP-40/Ⅰ。


EMPはバレルを覆うバレルジャケット、木製のストックなどMP-18と同じ
構成を持つが、バレルジャケットなどはMP-18のスタイルを求める向き
に応えて追加されたらしい。

しかし、EMPは内部に後のMP-38につながる特許機構、テレスコピック
タイプのリコイルユニットを備え、外観上もストック前方に独立した
バーチカル(垂直)グリップを持つ。

バーチカルグリップは発射時の銃の跳ね上がりをより抑制しやすいよう
考えられたものだが、MP-38では樹脂製とはいえフォアエンド形式に戻り、
兵士たちは勝手に?下方に向きを変えられたマガジンとそのハウジング
部分を握って射撃した。

この射撃スタイルが後にSMGの射撃姿勢として一般に知られるように
なったが、マガジン部に想定していない力を加えるため、給弾不良の
原因となる危険性も考えられる。

戦後の仏MATなどはマガジン部を握る前提でデザインされたが、やはり
独立したバーチカルグリップは反動制御に有用、ということでH&K 
MP5Kなどで復活、現在では取り付け,外しがワンタッチで出来るレイル
システムの普及に伴い、アサルトライフルでも標準的に使われるように
なっている。

mp40/14
これも1/6で、左上がブルッガー&トーメのMP9、左下はH&KのMP5K、中央はM4、
そして右がEMP。
赤い矢印で示したのがバーチカルグリップ、青い矢印はM4用を取り外したもの。


〔MP-38,MP-40の開発〕
1930年代半ば、ナチス政権下で秘密裏に再軍備のためのトライアルが
行われ、ラインメタル社、モーゼル社などのほか、エルマ社も参加する
こととなった。

エルマ社はEMPの機構をもとにMP-38を開発、これが制式を得る。

MP-38は木材使用の廃止、折りたたみ式のストックなど、MP-40に
つながるポイントが既に採用されていたが、軽量化のために機械加工で
多くのフルート(溝)を彫り、アルミ素材を使って軽量化していた。

フルートは製造に手間がかかるだけでなく、当時ドイツではアルミの材料
供給に不安があった。

軍は再軍備の時期的問題からまずMP-38を採用、生産配備を進めたものの、
次なる改良を既に指示していたのかもしれない。
すぐにMP-40が開発され、これが採用された。

MP-38,MP-40一連のシリーズにはエルマ社のあずかり知らぬところでSMG
開発の祖ともいえるシュマイザーの名が冠されることがあったが、MP-41
には関与したものの、MP-38,MP-40には一切関わっていないという。

MP-38,MP-40はMP-18などが鋼板に多数の穴を開けたバレルジャケット
を持つのに対し、バレル下に付けられた樹脂(アルミなどもある)製の
バレルレスト(レスティングバー=何かの上に置く際の保護材)を
設けている。

このバレルレストの前方は射撃時後方に動かないよう、引っかかるようにも
考えられている。

そして、MP-38,MP-40は、通常のライフルやMP18,EMPなどからボルト
ハンドルの位置が変更され、右手でグリップを握ったまま左手で引く形に
なっている。

これはマガジン交換も左手で行い、そのままボルトハンドルを引く、
というスタイルが考えられた為ではないだろうか。
このレイアウトはアサルトライフルの始祖、MP-43や戦後ドイツの
H&K製SMGであるMP5にも引き継がれている。

mp40/13
左からMP-28,MP-38,MP5。矢印で指しているのがボルトハンドル。

〔MP-38,MP-40のバリエーション〕
MP38,MP40にはいくつもの型が確認されているが、ドイツの首都陥落,
敗戦後の東西分裂により、資料が失われ、制式型番などが長らく不明
だった。

米国の収集家が呼び始めたという現在よく用いられる分類呼称では、
このシリーズはMP-38,MP-38/40,MP-40,MP-40/Ⅰ,MP40/Ⅱの
5つに大別される。
これらに加え、今回1/6で登場するMP-40-Ⅱなど少数作られたモデルも
存在する。

今回もこの分類,呼称に倣っているが、最近の研究によると、ドイツ陸軍
ヘーレス・オーベル・コマンドの管理,識別リストでは、MP-38,MP-40,
MP-40/Ⅰの3つしかないという。

MP40の改良は、生産上の問題だけでなく安全性向上にも及び、ボルト
ハンドルを2つの引き出し式の部品構成とし、外側を押し込むことで
ボルト前進位置でロックできるようになった。これでボルト前進位置で
携帯時に誤って落としても暴発の危険が無くなった。
MP-38も、回収されこの改修を受けている。

mp40/10
1/1で、ボルト前進位置でのセフティ機構。画像のように2ピースの外側を
左(機関部から外側へ)に引くと赤いマークが見え作動可能、押し込むとロックされる。


整理すると、MP-38/40はMP40のグリップフレームとMP-40のレシーバー
を組み合わせ、上記のボルトハンドル改修が施されたもの、MP-40/Ⅰは
MP-40のマガジンハウジングに異物を掻き落とすリブを追加、ボルト
ハンドル改良を施したもの、MP-40-Ⅱは左右にスライドさせてマガジンを
交換できるもので、現存する個体は極めて少ないという。
最終型のMP-40/Ⅱでは、テレスコピックリコイルユニットを廃し、
3本合わせだが単なるコイルスプリングのみとし、ストックのロックを
減らすなど更に省力化を図ったモデルだ。

mp40/06
1/6で、ワールドアームズコレクションからMP-38(左から1番目),
MP-40-Ⅱ(3番目),MP-41(4番目)と、出所不明のMP-40/Ⅰ(2番目)。


mp40/04
MP-38のボルトハンドル(左)と、MP-40-Ⅱの2列並んだマガジン。

〔マシンピストル〕
1980年代からだと思う(文献を片っ端から調べた訳ではない)が、主に
米国において、戦後生まれの“歴史を知らない”世代が、拳銃サイズで
全自動射撃が可能なものを指す用語として”マシンピストル”を用い
始め、この用法が現在一定の広がりを見せていると思う。

しかし、そもそもSMG発祥の地(伊のビラール・ペロサは弾こそ拳銃用
だが個人携行,運用できないため、SMGの分類に入れられていない)、
ドイツでの呼称がマシーネンピストーレ(マシンピストル)であり、
型式のMPはその略である。
これはH&K社のMP5シリーズなど、現代でもドイツ軍制式名として続いて
いる。

またSMGの開発当初から、拳銃を全自動化する試みは行われており、
ルガーP08を全自動化したものがMP-18開発時には試作、検討されて
いたし、スペインあたりでモーゼルミリタリーをフルオートにしたものが
好評だったため、本家モーゼルでも塹壕戦用の改造カービン案をもとに
M712と呼ばれる全自動モデルを作っている。

米国ではマシーネンピストーレをサブマシンガンと呼んでいた、という
事情もある(ピストル弾=サブキャリバー)が、この”マシンピストル”
という呼称は拳銃派生(改造)型に限るとする者と、Vz61やイングラム
M11などのような専用設計型、MP5KのようなSMG短縮型まで含めるとする
者があり、更にストックの有無、脱着式など非常に大きな違いがあるもの
をどこまで含めるか、全長でどこまでなのか、定義がはっきりしない。

ソ連のスチェッキンにしてもAPS(Avtomaticheskij Pistolet
Stechkina)であり、(カタカナ)英語ならオートマチックピストル
である。

米国の規制内容でも、全自動,短銃身(16インチ以下),サプレッサー
(サイレンサー)などを対象としており、SMGと”マシンピストル”を
分けていない。


WWⅡ期、ドイツのMP-38,MP-40は連合国の大きな脅威となり、米国
では少数しか装備していなかったトンプソンを大慌てで増産、省力化を
進めたがそれでも追い付かずM3グリースガンを作った。
英国のステンに至っては正に急ごしらえで、下の画像のMkⅡ型などは、
ストックはパイプに鉄片をくっつけただけの簡単なもので済ませている。

mp40/08
1/6で、左からMP-40/Ⅰ,米M3A1グリースガン,英ステンMkⅡ,露PPsh-41,
米M1921トンプソン。


戦後、もともとSMGを軽視していた連合国側は戦時中の大増産を忘れた
かのような態度に転じ、SMGは冷遇され、一旦用済み、もしくは後方や
予備の装備、といった扱いになる。

これにはアサルトライフルの台頭で、手動,半自動の装弾数の少ない
ライフルと共にまとめて一機種でカバーできるようになったから、
という理由が語られることが多い。

しかし、ドイツからH・シュマイザーを連れてきてAK47の開発を進めた
ソ連に対し、米国をはじめとするNATO諸国に採用された.308弾の
ライフルは全自動射撃はきつく、その命中率も低かった。

その後米国は同じくドイツが先んじて試み、断念した反動の少ない小口径
高速弾を限定使用から全面配備に切替え、M16(後のM4カービンも)で
ようやく本格的なアサルトライフルへと舵を切る。

ようやく”使えるアサルトライフル”を得た米国だが、1970年代に入り、
テロ対策として警察等が跳弾の危険性の低さなどに注目して欧州がSMG
の運用を進めたことに呼応し、SMGも再評価、装備が進む。

そしてこのあと、米国流の”マシンピストル”の概念が生まれたように思う。

”坊主憎ければ袈裟まで”ではないが、”優秀なゲルマン民族が世界の
支配者になる”というナチスの主張を受け入れられない米国の反発心が、
SMGやアサルトライフルの優秀性を無条件に肯定することを拒んだために
西側諸国の軍備に少なからぬ混乱,無駄を生む逡巡につながった
(もちろん勝った我々のM1ガーランドから、大きく変える必要は無い、
という慢心も考えられるが)のかも知れない。

そしてドイツ人ではなく我々が、という思いがアサルトライフルでは
扱いにくい.308弾の制定、SMGの排除、そして新しい”マシンピストル”
の概念を広めた、とすれは、これも立場を変えた”自らの思想,信条への
矯正,浸透”なのではないか。

もちろん、ヒューゴ・シュマイザー,ヒューゴ・ボーチャード,ルガー
P08など”日本語”として米国流が定着した例は多く、一般的でない
ロシア語、アラビア語など何でも現地の呼び、では言葉の元々の意味、
意思の疎通の点で不都合もある。

しかし紛らわしく、そもそもが間違いともいえる”マシンピストル”
という語は、個人的には使うべきでないと考えている。

逆になぜ”マシンピストル”がこれだけ普及してしまったのか、日本
では情報源が米国に偏っている、というだけでなく、以前書いた話の
ように受け手の”判断力”が問われているのかもしれない。

”自分達が特別”という宗教や思想は、そもそも幻想であり、それぞれ
平等に人間としての権利を認めるべきだが、またその一方で”信じる
ものが違う”者達の手になる文明(技術,発明)や文化でも、その価値
を正しく認める、ということは、”自由と平等の国”アメリカにおいて
さえ難しいことで、正にこの独善性は人間の性なのかも知れない。

銃器の世界では、SMGの再評価に止まらず、今度は拳銃弾より遠距離
に対応し、進化した防弾装備にも有効な小口径高速弾をコンパクト
なものに、というPDW(パーソナルディフェンスウェポン=個人防衛用
火器とでも訳すべきか)の概念が提唱され、一部で使用が進められて
いる。

既に”マシーネンピストーレ-40”は過去のものとなったが、その姿は
今見ても洗練されており、大きな影響を与え、そしてこれからも範と
なるべき多くのものを持っている”忘れてはならない”マスターピース
ではないかと思う。

mp40/09

この時期はいつも忙しく、また少し間が空いてしまったが、ネタ的には
まだまだ充実しているので、是非次回も期待して待って頂ければ。
では今回はこのへんで。

参考文献;月刊「Gun」1979年7月号、1989年8~11月号

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今回は米国のゼネラル・パーパス・マシンガン(多目的機関銃)M60を。

m60/01

[概要]
M60は米国で1957年に制式化された機関銃だ。
鋼板プレスで多くの部品が作られ、金属リンク(M13)で7.62mmNATO
(.308)弾をベルト状につなげて弾帯とし、給弾する。
ターンボルトガスオペレーション(発射ガス利用で回転閉鎖式の尾栓を
開放する)構造、バレル(銃身)はレバー操作のみで外せ、容易に交換
可能となっている。
標準型はバイポッド(二脚)を持ち、一名で携行,運用できる。
車載用では専用の銃架にマウントされ、またトライポッド(三脚)を
付けて、据え置きとして使用される。

このM60の開発について、今回いくつかの記事を調べてみたところ、
かなり違いがあり、情報が錯綜している状態ではないかと思われる。
そこで今回はここから生じる疑問点を考えることをメインにまとめて
みた。

[1/1]
それでは今回の実物大トイガンを。
トップが作っていた(現在は廃版)もので、本体上部のフィードカバーを
開け、そこにBB弾を装填する電動エアーガンである。
m60/03
これはデラックス版で、フラッシュハイダー(銃口に付ける消炎器)が
鉄製の切削部品、リアサイト(照尺)が可変、バイポッド(二脚)高さも
可変になっている。

m60/13
トリガー(引き金)とその後方のセフティレバー(安全装置)は実物同様
の機能をもっている。

電動ガンなので、チャージング(装填)ハンドルなどは操作できるが
ダミー、フォアアーム(先台)に充電式の電池を入れて使用する。

また、リアサイトの前に実物には無いホップ調整ツマミが露出しているが、
これは分解なしに操作できるよう配慮し、敢えて変更しているようだ。

m60/12
トップのM60で、リアサイト、キャリング(携行)ハンドル、バレルロッキングレバーの配置を。

[1/6]
今回の画像比較は主に(高価かつ制作されているモデルが少ないので)
1/6で行った。
そのため、実は主役ともいえる1/6モデルだが、いつものように単品
入手で出処は定かでない。
柔軟性のある素材で作られた弾帯が付属し、バイポッド,リアサイト,
キャリングハンドル,フィードカバー,チャージングハンドルなどが
可動する。

一応ドラゴンではないか、と推定しているのだが。
m60/04

[開発の経緯]
WWⅡ(第二次世界大戦)中の1943年から、米軍用新マシンガンの開発は
始められ、入手した独のMG34をテストしている。

当時、米軍は布製ベルト給弾式のM1917,M1919を使っていた。しかし、
水冷式のM1917は現地で水の確保も必要であり、重く、機動性に劣る。
これを空冷式に改良したM1919でも、やはりまだ個人で携行,運用する
のは難しいため、箱型弾倉を持つBAR(ブローニングオートマチック
ライフル M1918)で補っていた。

BARは個人携行できるが、交換式とはいえ装弾数が20発と少なく、
継続的に火力支援を行うことは難しい。

m60/05
1/6で、WWⅡ期のマシンガンとM60。
M1917はトライポッド,水タンク付き。
画像のM1919は本体のみだが、バイポッドやトライポッドを付けて使用する。


これらの機関銃を統合し、独のMGシリーズのように、軽く多くの弾が撃て、
個人携行から車載まで多目的に使用できるものが求められていた。

しかしMG34は生産性,耐久性に劣ると米軍は判断した。独ももちろん
MG34の欠点を認識しており、改良型のMG42を開発している。

m60/06
これも1/6で、MG42(左)とM60(右)。
どちらもバイポッドを開いているが、MG42がバレルジャケットについている
のに対し、M60はバレルに直接付いている。
また、どちらも金属リンクを用いた弾帯を使用するが、MG42はドラム状のボックス、
M60はMk43(後述)に付属してきた紙製ボックス+布ケースに収納したものを付けた。


m60/10
左からMG42、M60、M1919で、フィードカバーを開いた状態の比較。
M1917,M1919も、布製の弾帯を使うがフィードカバーを空けて弾帯を取り付け、
射撃準備となる。


MG42が手に入ると、そのプレス加工を多用した生産方法、ベルト給弾
システムを利用する方向で開発方針が決まり、まず当時米軍制式の
30-06弾に改めただけのMG42を検討、乗用車メーカーのゼネラル・
モータース社に改造を依頼したが、予定より遅れ、結局USアーミー
オードナンスで組み立ててアバディーンで試験したという。(月刊Gun)

M60/09
また1/6だが、M60(左)とM3A1グリースガン。
M3A1はWWⅡにゼネラル・モータースで開発された、プレス鋼製のサブマシンガン。


この時期は1943年末、改造MG42は、T24と名付けられ、ヒトラーの
電気鋸と呼ばれたMG42の高速な発射サイクルは600発/分まで
落とされたという。

この試験結果については諸説あるが、戦争終結までとりあえず新型
マシンガンの開発はストップし、戦後これも独のFG42のガス
オペレーション機構を取り込みT44という試作品を作る。

m60/07
更にこれも1/6で、M60(左)とFG42。
給弾方式とバイポッドの取り付け位置が違うが、バイポッド,フォアアーム,
独立したグリップの配置はMG42よりM60に近い。


FG42の機構は米国のルイス機関銃から採られた、とも言われ、つまり
相互にコピーしあって改良が進んでいたようである。

その後、ブリッジ・ツール&ダイ社のT52,T52E1と試作が続くが、
次のゼネラル・モータース・インランド・ディビジョン社のT-161計画に
統合され、1957年、新たに制定された.308弾仕様とした試作銃T161E3が
M60として採用され、民間のサコー社で大量生産されたという
(オールカラー軍用銃辞典)。

同年、米軍は主力ライフルもM1ガーランドからM14に変えており、
.308弾で統一が図られている。

m60/08
後方が1/1の弾帯、ダミーの.308弾(2発)、そしてM13金属リンク。
他は1/6で、左端がMG42用のドラム、手前の2つがM1917,M1919用の布製弾帯、
中央の緑色の布製はMk43用の弾薬箱にM60用の弾帯を入れたもの、
その右にあるものがMk43用で付属してきたメタルリンクが別体で可動する
精密な金属製弾帯、
右の黒い箱はMk43用、緑の箱はM1917用(30-06)の弾薬箱。


[開発元はどこか]
さて、疑問の一つだが、制定までにどこが開発を行ったか、各情報で
かなり異なるのだ。まず各説をそれぞれまとめてみた。

月刊Gun〈1978年12月号 国際出版〉によれば1943年からU.S.ARMY 
ORDNANCE CORPS(米陸軍武器科)が独のMG34を米軍用新機関銃開発
の手がかりとしてテストしたことになっている。
この記事を書いたのはタークタカノ氏で、参考資料として
Small Arms of the World Smith&Smith

Guide to United States Machineguns 
by Konrad F.Schreier.Jrと記されている。

またオールカラー軍用銃辞典(改訂版)〈2007年 床井雅美著 
並木書房〉では更に踏み込んで
「開発の中心になったのは、スプリングフィールド造兵廠だ。」
(武器科の工場部門)とされている。
上述のようにブリッジ・ツール&ダイ社、ゼネラル・モータース社の
試作について言及され、制定後も、「初めスプリングフィールド造兵廠で
限定的に生産された後、民間のSAKO(サコ)社で総数約22万5000挺が
生産された。」としている。

対してウィキペディア日本版では、「設計・製造 サコー・ディフェンス 
U.S.オードナンス マーモント社」とし、「U.S.オードナンス社は、
サコー社から軍用M60と、その部品について許諾を受けた主要なメーカー
である。」と記している。

英語版では、マーモントが製造元から外されており、ネット上の別の
サイトでは、サコーのマーモントによって作られた(built by Marmont
in Saco)とされている。
マーモントが人名か部署,子会社かは相変わらず不明だが、サコーと
別ではない、というのが推定される。

リンクを辿るとサコーディフェンスは2000年にゼネラル・ダイナミクス
社に買収されたようである。

また外部リンクとして記されているU.S.ORDNANCE Inc.は、1997年
設立となっているが、これは国営の軍組織が民営化されたのか、は
調べきれなかった。とりあえずU.S.Armyではないようだが。

さて、果たしてどこまでが正解なのか、だが、同時期M1カービンやM14は
民間会社が軍からの要望に応えコンペ形式で開発している。

しかし、敵国のマシンガンを戦争中に入手して試験、更にメーカーの
サコーがゼネラル・モータースなど複数社を下請けにして共作させる、
というのも考えにくく、また、コンペなら両方却下されてから相手と
統合案を進める、というのも考えにくい。

何より、初期のT24,T44は習作ともいえるストレートコピーであり、
試作品番も軍が管理していたことを伺わせる。

やはり軍の主導でそれぞれが試作などを行ったのではないだろうか。

整理すると、開発はスプリングフィールドが主導し、T24,T-161の試作
にはゼネラル・モータース、T52はブリッジ・ツール&ダイ社が担当、
これらの成果を吸い上げたスプリングフィールドが形にし、制定後
大量生産はサコー(SAKOでなくSaco)が行い、この権利を今度は
USオードナンスIncが譲り受けた、というところではないだろうか。

[T24は失敗したのか]
戦時中の鹵獲品改造モデル、T24についてだが、Gun誌1978年12月号
によると試験結果は良好だったとされている。

しかし、WORLD GUNS Modern Firearms(ネット)によると、
7.92×57mm(8ミリモーゼル)の弾薬仕様なのを誰かが”忘れ”、
そのまま米の30-06(ケース長63.3mm)を使い、機関部尾筒が1/4インチ
短かったために失敗した、という。

長い30-06のカートリッジを短い薬室に突っ込めば(入ると同時に撃発
するので)、機構が閉鎖せず、ケースが破れ高圧の発射ガスが機関部に
噴出するだろう。

そもそも.30-06に合わせ弾帯の挿入部も拡大しなければ装填できない
はずで、当然バレル径も小さい30-06用が必要である。
そこで薬室を8ミリ用とするのは、”忘れる”というより間違いで、
しかも実射までチェックが働かなかった、というのはちょっと信じ難い。

他に、再設計の際にミリ規格とインチ規格の違いを無視したために、
細かい寸法が合わず、1000発程の試射で壊れた、という記述もネット
では見られる。

こちらも事実は、だが、T24は再設計して一から製作したのではない
ようなので、ミリ-インチ変換問題はバレルの取り付け部ぐらいしか
考えられず、やはり交換時にここをチェックしないまま実射試験した、
というのは考え難い。

また、部品を全て設計図から起し直すなら、全部インチで統一され、
相互誤差は単位のせいではないはずである。

以前M1カービンのところで述べたが、この時期ウィンチェスターで
急造の試作を成功させ、またグリースガンを大急ぎで完成させた同じ軍の
開発、にしては余りにもお粗末ではないだろうか。

米国は、”失敗も素直に明らかに出来る”体制、だったのかもしれず、
また担当したゼネラル・モータースは車屋、銃に詳しい訳では無かった
から、とも思えるが、インチ-ミリの規格については逆に欧州車との部品,
工具の違いなど”良くわかっている”はずで、この複数の失敗話は、逆に
”怪しい”と思うのは穿ち過ぎだろうか。

実は、MG42の閉鎖機構、ローラーロッキングは当時いくつかの理由で
コピーできなかったのではないか、とも考えられるのだ。

グロスフス社で開発されたMG42だが、ローラーロッキング機構は
ポーランドのエドヴァルト・シュテック(Edward Stecke)の特許を
採用、とされており、後にスペインのセトメがアサルトライフルで
ローラーロッキング(こちらはショートリコイル=銃身少量後退式では
なく、ここから発想を得たディレードブローバック=遅延吹き戻し式
だが)を用いたときも、特許の切れるまで生産できなかった、とも聞く。

当時ポーランドは敵である独の手に落ちており、とても特許交渉など
出来ず、またこれから情勢がどう転ぶか(実際戦後は東側に
組み込まれた)わからず、つまり技術の使用許可は可とも不可とも
つかない、誰にもわからない状態だったのではないか。

結局紆余曲折を経てM60が採用された1957年にはこの特許が切れた
ようなのだが、ともかくストレートコピーはまずい、という判断は当然
あったと思う。

更に、戦後ディレードブローバックに変えてローラーロッキングの量産に
成功したH&K社でもローラーの破損が問題となったことがあり、そして
現在は同じくローラーロッキングを採用していたSIG社も含めて他の
方式に乗り換えたようである。

ローラーロッキングのローラーは、モーゼルミリタリーやワルサーP38の
ロッキングブロックを簡単な形にしたものともいえるが、高温になり発射
ガスで汚れやすい環境で回転し高い圧力に耐える部品とするには、素材,
熱処理や精度管理も含め、かなり高いベースの技術、ノウハウが必要
だったのかも知れない。

また、MG42のコンセプトである高速の作動を実現するには、直線的
(ローラーは左右だが少量)に動くこの機構が必須、と独は判断していた
可能性もある。

対して、ハナから回転速度を落としたT24では、デメリットのみが
目立ったということかもしれない。

ともかく、戦後の動向を見ると、ローラーロッキングは自国で量産する
には技術的に難しい、もしくは従来のロッキングブロックや他の機構の
方がマシだ、と判断したとしてもおかしくないと思われる。

しかし、独で実用化に成功した最新機構を早々に”棚上げ”したために、
このような失敗伝説が生まれるもとになったのかも知れない。

m60/21

MG42のローラーロッキングはローラー(図のピンク色の部品)がロッキングピースによって
押し出され、チャンバー後部のリセス(溝)にはまってロックする。

対してM60のターンボルトはボルトボディのロッキングラグ(突起)がバレルソケットの
ロッキングカムに沿って動き(ボルトボディが90度回転して)、ロックする。


[改良]
M60はベトナム戦争などで活躍し、今も現役だが、発射で過熱したバレル
交換に際し石綿の手袋が要る、など操作上の問題があり、また弾薬の送り
に不具合が発生しやすいなど、米兵の評判は芳しくない、という記述も
見られ、改良も進んでいる。

元々、多目的(車載,据え置き,携行)を想定したバリエーションも
あったが、E1~E4(Mk43)までの改良版(E1は量産されなかったらしい)
が作られた。

m60/19
これも1/6で、Mk43 Mod0(M60E4)とM60。
Mk43はバレル短縮など軽量化が進められ、バイポッドで立てたままバレル交換が可能
(バレルに付いていない)、フォアアームには独立したグリップが付属している。


しかし、米軍はFN社のMAGをM240として採用し、また現在の制式ライフル
弾、5.56mmを使う機関銃もMINIMIがM249として採用されるなど、順次
置き換えが進んでいるという。

m60/02

独は戦後ラインメタル社がMG42を改良、MG3として採用した。
米国が諦めた”7.62mmのMG42”である。

もちろんMG3の登場はM60制定後のことであるが、M60、とりわけT24の
開発者は、このMG3を、どのような気持ちで見たのだろうか。

さて次回だが、現在市販最強のハンドガン、S&WのM500を、考えている。
それでは今回は、ここらへんで。

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今回はアサルトライフルの始祖、とも呼ばれるStG44を。

stg44/12

[概要]
StG44はWWⅡ(第二次世界大戦)期にドイツ ハーネル社で開発された
セミ,フルオート射撃が可能な銃だ
(フルオートは弾倉に弾がある限り引き金を引き続ければ連射、
セミオートは一回引き金を引く毎に一発発射される)。

stg44/01
デニックスの装飾(展示)用ガン StG44

30連発と装弾数が多めの箱型弾倉を持ち、カートリッジも独の当時制式
だったライフル弾、8mmモーゼル(7.92×57mm)を短縮した
7.92×33mmクルツ(短)弾を用いる。

stg44/04
デニックスのStG44マガジン=弾倉と、7.92×33mm(画像奥左 ダミーカート)
と7.92×57mm(右 ダミーカート)。
デニックスのマガジン自体は着脱可能だが、カートリッジの装填はできない。


StGはSturmgewehr(シュツルム・ゲベール)=突撃銃,アサルト
ライフルの略で、開発当時標準的なライフルとSMG(サブマシンガン=
拳銃弾を用い、全自動射撃可能な銃)の中間的なパワーのカートリッジを
用い、良く言えば両社のいいとこ取りの性格を持ち、紆余曲折はあったが、
後にこの銃のコンセプトを受け継いだ銃が各国で開発され、今や世界中の
兵士の標準装備となっている。

[1/1]
今回のリアルサイズモデルは、スペイン デニックス製で、2012年に
国内に入ってきたものだ。
可動部は限られているが、一応モデルガン形式で、バレルは閉塞されて
いる。
素材は亜鉛合金と木材で、スチール薄板のプレス成形を上手くキャスト
(鋳造)で表現している。

stg44/05
デニックスのStG44(左)とマルゼンのMP5K(右)で、機関部を開いたところ。
どちらも後方のピンを抜くと、ストックやカバーが外れ、前方のピンを
支点にスイングして機関部が開く。


stg44/06
デニックスの機関部。
実銃と同様にボルト=遊底の後退でハンマー=撃鉄が起こされ、トリガー=引き金
を引くと落とすことができる。


StG44とそのバリエーションは、日本ではショウエイが手掛けており、
モデルガン,ガスガン,電動ガンで各種のものが作られている。
また、このショウエイ製電動ガンのデッドコピーが海外で作られ、
日本にも入ってきているようだ。

[1/6]
1/6では、ノーマルのStG44(MP44 下の画像左)以外に、曲射銃身と
プリズム照準器を備えたクルムラウフ/ホーザッツ(画像中央)と
呼ばれるもの、赤外線照射装置ZG1229ヴァンピール=ヴァンパイア
(画像右)を備えたものが手元にある。

ヴァンピールはドラゴン、クルムラウフはトイズシティ、ノーマルは
不明だがヴァンピールと共通性が高い(リアサイトが違う)ため、
ドラゴンではないかと思われる。

stg44/02

[開発の経緯]
米国は、半自動式(セミオート=引き金を一回引くと、一発発射される)
のM1ガーランドを開発、ソ連もSVT-38,SVT-40を持っていた。
ドイツはWWⅠのあとボルトアクション(手動式)ライフルKar98k
再軍備したが、これら半自動式ライフルの採用では遅れをとっていた。
しかし水面下では1921年には自動装填式ライフルの為のカートリッジ
検討を進め、従来の8mmモーゼルがこれに適さないことを認識していた。

stg44/13
1/6で、上からKar98k,SVT-40,M1ガーランド,StG44。

このため6mmの小口径で従来より低威力のカートリッジを模索していた
が、結局従来の小銃用カートリッジと同じ径を持ち、ケース長を短縮して
威力も弱めた7.92×33mmを新型ライフルのカートリッジと定め、
1938年にはドイツSMGの基本ともいえるMP18を設計した
H.シュマイザーが在籍するヘーネル社(C.G. Haenel, Waffen- u. Fahrradfabrik)に
新型銃の開発を依頼する。

stg44/11
1/6で、左からMP28,MP40,StG44。
MP40とStG44は、ピストルグリップの形状,トリガーガードの成形法など
共通点が多い。


stg44/10
1/1でデニックスのStG44(上)とマルシンのモデルガン、MP40(下)。
プレス成型のリブ(凸部)、マガジンキャッチの形状が似ている。


このときワルサーと競作となり、結局ヘーネル案が採用されるが、
マシーネンカラビナーの略称、MKbを持つMKb42はヘーネル案、
ワルサー案の試作がある。

MKb42はプレス鋼板製のレシーバー,フレームを持ち、当時の正式
ライフルであるKar98kより製造単価は高いものの、製造時間は短く
済んだという。

ヘーネル案のMKb42は発射ガス利用式だが、ティルトボルト式(仏 
FA-MASなどと同方式)の閉鎖機構を持つものの、オープンボルト
(閉鎖しない状態)からの作動形式で、撃発もストライカー(撃針)
によるものだった。

ワルサーはクローズドボルトで、セミオートの命中率が優れていたが、
作動性、特に悪環境下での信頼性に欠けていたという。

これは大きなエジェクションポート(排莢口)が一因とされたが、
ヘーネルは更に機関部が開いた状態で発射前に待機するため、
エジェクションポートにカバーを付けていた。

このカバーがあれば、ワルサーが採用された可能性もあったと思われる
が、結局ワルサー案は200丁の試作で終わったという。

stg44/07
1/1で、StG44(左)とM16系のM654(右 MGCモデルガン)。
矢印で示したものがエジェクションポートカバー。
M16はWWⅡ後、米国での開発だが、この構造は(上下逆だが)共通だ。


MKb42(H)は、いくつかの改良の後、実戦に試験投入された。
結果は大変好評で、兵士はこの銃を愛用し、予約もあったという。

時期は少し前後するが、8ミリモーゼル弾を使うFG42,Gew41も出来て
おり、ドイツはこれら3種の自動装填式ライフル(Gew41はセミオート)
を持つこととなった。

FG42は空軍、Gew41は陸軍で開発され、当時軍内部での派閥争い,
抗争が激化していたのも、この混沌とした状態を招いた一因だが、
ヒトラーはこの“最も根本的解決に取り組んだ、進歩的な計画”、
MKb開発計画の中止を決めてしまう。

stg44/14
1/6で、左からGew43(Gew41の改良型),FG42,StG44。

ヒトラーはともかく“強力なもの”が好きだったらしく、一発の威力が
低く、射程距離も短いMKb42が気に入らなかったため、FG42より早く
量産に移れる段階まで進んでいた、とも言われるMKb42の計画を却下した、
とも言われる。

だが、既に億単位の8ミリモーゼル弾があり、原料不足でケースの素材を
真鍮から鉄製に変更するなど、切迫した状況で新型弾薬の生産は、
”大きな無駄”と考えられたこと、また生産できたとしても弾薬の種類が
増え、補給現場が更に混乱し収拾がつかなくなるということを憂慮した、
という面もあったという。

しかし、敵対する米国では拳銃,小銃弾に加えカービン(軽量な小銃)
用の.30カービンを作り、その使用銃、M1,M2カービンを小銃より
大量に生産、供給している。

ともかく、担当者は開発,生産を止めないために、MKb42をMP43と名称を
変えて、マシーネンピストーレ、つまりSMGとして密かに計画を続けた。

この真相を知ったヒトラーは再度計画の中止、G43の採用を命じたが、
後に前線からの報告でMP43が好評であることを知り、ようやく肯定に
転じたという。

こうして正式に認められたMP44(MP43)は、新たにヒトラーが戦意高揚
を狙ってStGと名を変えさせた、とも伝えられるが、ドイツの銃器雑誌
「DWJ」(頑住吉氏訳)によれば、この名前は、歩兵大将Jaschkeが
付けたとか。

StG44はハーネル以外(後にSIGと組むザウエル&ゾーン、また後に
ポリマー利用を進めたステアー、そして後にStG44の影響を受け継いだ
G3を作るH&Kの元となったモーゼル)でも生産を始めたが、既に戦局は
連合軍に制空権を奪われ、ソ連とアメリカに挟み撃ちとなっており、
大量のStG44が前線に届く前に爆撃で焼かれ、また敗戦を迎え未完成に
終わったという。


[“アサルトライフル”の継承]
(従来のライフルより)弱装弾を用い、セミ/フルオート射撃が可能な
個人装備の銃は、同時期に米国ではM2カービンがあった。

しかし、米国はWWⅡ期に最も多く生産されたこのカービンを評価せず、
戦後M1ガーランドの30-06弾を基に開発した.308弾を使うM14を歩兵
用ライフルとして採用、更に.308を加盟するNATO(北太平洋条約機構)
の制式弾としてしまう。

stg44/18
1/6で、M1カービン(左)とStG44。
M1カービンはM2カービンの元となったモデルで、セミオートのみのもの。


これにより、7.92×33弾を評価、これや.280を想定し開発されていた
FN(ファブリックナショナル)社のFALも無理やり.308弾仕様とした
ため、フルオート射撃に難を生じ、英国などはセミオートのみのL1A1を
採用するなど、当初の開発目的だった”全自動射撃が容易なライフル”
という看板を下した格好となった。

西ドイツも、最初はStG44を使っていたようだ。
そして元モーゼルのメンバーが創設したH&Kで再生産を検討させたが、
結局G3を、こちらも当初の企画より強力な.308仕様で採用した。

このG3は、もともとモーゼルが戦時中にローラーロッキング機構を用いた
StG44の製造簡略化案StG45をもとに、フランスからスペインへと研究が
引き継がれ、セトメで完成されたものだ。

G3はStg44の分解方式、プレス鋼製フレームなどを踏襲していたが、
これも開発当初は7.92×33mmなどをベースに考えており、.308では
強度的にギリギリだったのか、一定数射撃後はメーカーで歪んだ
フレームを矯正することにしてもたせていたという。

stg44/17
1/6で、左からG3,FAL,StG44。

これに対し、ソ連は苦汁を飲まされたシュツルム・ゲベールを高く評価し、
スターリンはStG44を手元に置いていたらしい。
まず占領した東ドイツでStG44を使用させ、また戦後すぐ設計者の
H・シュマイザーをソ連で”彼らのための”新型銃開発にあたらせた
という。

この計画の産物AK47はしかし、シュマイザーではなく、(後に)共同
で開発に当たったカラシニコフの名で知られる。

stg44/16
これも1/6で、左上からM16A1,AK47,StG44。
このAK47はマガジンを2つテープで巻いて止めたものを再現しており、
また正確さには少し疑問もあるが、カートリッジ径が最も大きいStG44の
マガジンは同じ30発でも長い。


WWⅡのあと、共産主義(実質帝国主義)国家の拡大に対抗する自由圏、
という対立の構図が生まれた。
東側のAK47とベトナム戦争で直接対峙した米国は、軽量で反動の少ない
AR-15をM16として採用する。

M16は、ドイツ帝国が諦めた小口径の5.56mm(.223)カートリッジ
を採用しているが、結局.308はアサルトライフルのカートリッジでは
なかった、と認めてしまったことになるのではないだろうか。

NATO諸国はいい迷惑だが、今度は5.56mmを(少しパワーアップしたが)
制式化する。
そして今度は東側が小口径を模倣するのだが、ともかく、半世紀前の
ドイツが当初描いていたシュツルム・ゲベールの形が、現在世界標準と
なっている。

平時に比べて、真剣さが違うのかも知れないが、ドイツの20世紀前半期
の武器開発には目を見張るものがあり、このStG44などは、当時自国,
敵対国も含め少なからずの層が実力を理解できないほど”進んでいた”
のかもしれない。

[米国のガンコントロール]
少し前の事になってしまったが、米コネティカット州の小学校での銃乱射
事件を受けて、米国で再び銃規制をすべきか、が議論され、話題となって
いた。

1994年のアサルトウェポン規制法は10年間の施行期間の後、更新されず
失効している。
しかし、フルオートの銃はWWⅡ以前から規制されており、いわゆるサブ
マシンガンも、アサルトライフルも厳しい許可が必要である。

以前にも言ったが、米国が世界最強といわれる軍隊を持つことを許容して
いるのは、国民の武装権が国家の暴走を防ぐから、という側面もあると
思う。

今回もアサルトウェポン規制法と同じく、装弾数(10発)の規制などが
主な内容であり、基本的な”銃を持つ権利”は保証される。

そして日本でも規制を期待する向きがあるようだが、日本はこの法律で
利益を受けることは、”まず無い”はずだ。

それでは何故、規制に賛成なのか?
毎度の話ではあるが、これも”日本教”の影響なのではないだろうか。

NRA(全米ライフル協会)が主張しているように、全ての学校に武装した
警備員を配置し、教師が銃を携帯する、というのも、一つの策で、いや
”まじない”のような弾倉容量制限より、既に大量の銃器が存在し、
すぐに全廃することはほぼ不可能な国では、ずっと実効性が高いのでは
ないか。

なぜこの案が”笑止千万”で、NRAは秘密宗教集団のように”議会で隠然
たる力を持ち、民意に反して一部の銃器関連産業の意向を政策に反映
させる力を持つ”と思えるのか。

日本人は、血をみる事を避け、忌み嫌う。
できれば武器を遠ざけたい、無くしたいという気持ちがあり、それが
殺し合いの争いを無くす手段として最善の策だと思っているのでは
ないか。

そして、自らの感情に合わないものは、合理的判断を無視し、対象を
モンスターとして”拒絶”してしまってはいないだろうか。

このところ忙しく、つい更新を滞らせてしまった。
次回からは少し趣向を変えて、日本を代表するモデルガンメーカーで
あったMGCの、プラスチック製モデルを順にとりあげていきたい。

stg44/15

では今回はここらへんで。

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今回は、旧チェコスロバキアで作られた異色の超小型サブマシンガンの
傑作、Vz61スコーピオンを。

Vz61/14

[概要]
Vz61は、小口径32ACP(7.65×17mm弾)を使うサブマシンガン(SMG
=拳銃弾を使い、装弾数内で、引き金を引いている限り連射できる銃)で、
名称は、正式にはSamopal Vzor(サモパル・ビゾール=サブマシンガン)
61だが、頭文字をとってSavz.61、もしくは更に縮めてVz61と呼ばれて
いる。

Vz61/04
ハドソンのモデルガンで、ストックを開いた状態。

そのコンパクトさ、制御の容易さから、テロ,ゲリラ攻撃の装備としても
使われ、イタリア アルド・モロ首相誘拐暗殺事件で、”赤い旅団”が
使用するなど、テロリストご用達の危険な銃としても注目を集めた。

スコーピオンの愛称は、折りたたみ式のストック(銃床)が蠍の尾を連想
させることから付けられたというが、新型SMGの開発プロジェクト名が
これであり、もしかすると形状が決まる前からこれは”スコーピオン”
だったのかもしれない。

Vz61/08
マルゼン製ガスガンで、各種SMG用カートリッジと。
左から、32ACP,9ミリパラベラム,45ACP。


[1/1]
今回はまず模型を先に紹介したい。
超小型、は多くのトイガンファン(実銃でも、かもしれないが)を
惹きつけるものがあるらしく、Vz61は多くのモデルアップがある。

Vz61/13
左から、マルゼン,東京マルイ,ハドソン。
ハドソンのみモデルガンで、他はエアーソフトガン。


まず、モデルガンではハドソンが’81年ごろ、AK47に続いて金属製の
ブローバック(スピンジェットカートリッジ)仕様で発売、これは簡単に
外せないストックがついているということで長物扱いとなり、一時を
除いてガンブルー仕上げで供給された。

ハドソンのVz61は、少しグリップ部が短い印象だ。また機構はハンマー
式の発火方式がボルトによる直打ち式に簡略化され、ボルトオープン状態
からの発火サイクルに改められ、レートリデューサー機構(後述)も省略
されている。
また、今回用意したモデルの中ではハドソンのみリアサイト(照門)が
ピープ(小穴)式となっている。

しかし、全金属で黒いモデルガンであり、ハドソンのヒット商品になった
ように思う。

ハドソンはこの前にAK47を作り、またPPshもトカレフもモデルガン化、
東側銃器を多く手がけていたが、ほかにもグリースガン,トンプソン,
マドセン,ステンMkⅡなどのSMGも多く、その点でもVz61はハドソンを
代表するモデルの一つかもしれない。

Vz61/05
ハドソンのボルトを抜き出したところ
(コッキングポイントは分解後、再度ボルトに取り付けている)。


次に発売されたのは東京マルイのエアーコッキングガンではないか
と思う。
これは少々大きいかもしれないが、フォルムはより実物に似ており、
外形だけだがグリップボルトナット(グリップ下の部品)も付いている。

エアコッキング形式なので、コッキングが容易なように大型化された
コッキングポイントが付いており、またスイベル(負い紐取り付け金具で、
回転するもの)取り付けのためか、マズル付近に大きな環状のパーツが
付いている(実物にこういう仕様があるのかもしれない)。

マルゼンのVz61はガスブローバックで、クローズドボルト(尾栓が前進
し、機関部が閉鎖した状態)からの発射サイクルも再現し、形も大きさも
実物に近いと思われる。
レートリデューサーは再現されておらず、グリップボルトナットも無い
のが残念だが、これはユーザーが制作,もしくは他社のものを流用し
後付けすることも可能ではないかと思う。

本体は樹脂製だが、社外オプションのローズウッドらしき木製グリップが
あり、これに替えたところ、実物より華やかな感じになった。
このグリップは、指かけを左右非対称としており、しっくり手になじむ。

分解方法も実物と同じで、またハンマー式も再現されており、メカは
ハドソン以上の再現度といえる。

Vz61/16
マルゼンで分解状態を。
内蔵のハンマーがフレーム上に覗く。


他にマルイからは電動ガンが出ており、コンパクトSMGの専用バッテリー
を使い、実物のフォルムを崩すことなく、サバイバルゲームに使えるもの
になっているようだ。

[1/6]
Vz61ではストック無しでランヤードリング(負い紐を付ける環)付きの
ものが2種類、マガジン(弾倉)がストレートタイプのVz82(Vz83?)は
ストック,サイレンサーはもちろんレイル付きでフラッシュライト,
フォアグリップまで付属していた(Vz82は3つ入手している)。

今回のものも単品入手で出所は確かでないが、ストックを持たないものは
ひとつがドラゴン製(画像右下)、ストレートなマガジンのもの(2段目の
3つ)はZCガールズのルーズパーツというところと、ホットトイズという
ところがあった(どちらか特定できていない)。

Vz61/06
マルゼンのガスガンと各種1/6。

[実物の装備]
実物では、バーチ(樺)材を赤く着色し、縦溝が入った軍用のグリップが
標準的だが、これ以外に、民間用にセミオートピストル(全自動と
ストックを廃した仕様)に用いられたチェッカー仕様もある。

また、ユーゴスラビア(当時)のツァスタバでライセンス生産されたもの
が過去Gun誌に登場したが、これには黒いプラ製のグリップが付いている。

ストックはワイヤーを曲げて成形しているが、付け根の部分が回転し、
バレル(銃身)に覆いかぶさるようにたたむことができる。

このとき、フロントサイトの左右カバーがストックのロックを兼ね、また
排莢が上方に行われるため、ストックを折りたたんだままで射撃できる。

ストック自体は分解ピンを押して横にスライドすると取り外すことも
可能だ。

マガジンは、32ACPがセミリムド(下端が少し大径)のためと、
給弾性を上げるためか湾曲したバナナマガジンが採用されている。
この形状もマガジン配置に影響している(グリップ内マガジンを
採らなかった理由の一つ)と思われるが、MP38,MP40はいうに及ばず、
それまでのSMGの基本形であり、モーゼルM712などともオーソドックス
なレイアウト、ともいえる。

Vz61/12
モーゼルM712(右 マルシン モデルガン)とハドソン Vz61。

この配置を利用し、Vz61ではマガジンを取手として使う(このとき
トリガーガードに親指を入れる、と言われているが、実際にはトリガー
操作に支障をきたし、セミオートでも連射してしまうこともあるという)
撃ち方や、片手で使用する場合などは、このレイアウトの方がバランスが
良い、という判断もあったかもしれない。

戦後いっときバナナマガジンはSMG用として流行しなくなった
(英のスターリングSMGなどは、戦時中に計画が始まっている)が、
H&KのMP5が採用し成功、グリップ内にマガジンを持つMP7でも
(これはカートリッジにテーパーが付いているが)踏襲している。

ボルトのコッキングは両サイドの同心円状の段差を設けたコッキング
ポイントで行うが、これもストックがどちらの状態でも操作できるように
考えられたのではないだろうか。

また、分解の方法もレシーバーピンを押してレシーバーを少し前進させると
後部が持ち上がり、ボルト等が取り出せる、という簡単なもので、AK47より、
M16よりシンプルだ。

[開発の経緯]
チェコは銃器開発にも長けた国で、有名なところではZB26軽機関銃,
Vz48SMGなど独自の優れた製品を作っていた。
Vz48はL型のボルト、グリップにマガジンを挿入するレイアウト形式など
は、後にイスラエルのUZI,米国イングラムなどが取り入れて製品化して
いる。

そのチェコで偵察部隊や特殊部隊、車両運転,搭乗員や将校など、より
小型,軽量のSMGが有効と考え、新たな”スコーピオン・プロジェクト”
を1959年に立ち上がる。

この計画は、ソ連が同様の小型SMG、APSスチェッキンを採用,配備
していたことに呼応したのかもしれない。

開発者のミロスラブ・リバーツは、チェコ造兵廠に入ってから大学の
通信教育を受け、小型SMGの研究をしていたという。

リバーツのアイデアは、従来SMGとしては用いられていなかった護身用
拳銃弾、32ACPを用い、更に他では余り例のないボルトをロックする
レートリデューサーを用いる、というオリジナリティーの高いもので、
1961年、過酷なテストに耐え、制式を得た。

Vz61の生産はウヘルスキ・ブロッド造兵廠(セスカ・ゾブロジョブカ・
ウアルスキー・ブロド)で、1979年まで製造されたという。
1978年にはユーゴスラビアのツァスタバでライセンス生産が始まり、後に
自由化したチェコでは民営化したセスカ・ゾブロジョブカ(Cz75も作る
ところ)が米国向けにセミオートでストックを持たないピストル版を作り、
これがGunProfessional誌2012年8月号に取り上げられている。

Vz61の口径を380ACPとしたVz64、9ミリマカロフとしたVz65、9×19ミリ
のVz68も作られ、またこれらの改良型でVz82,Vz83,Vz85も量産された
という。

[構造]
Vz61は、多くのSMGがオープンボルト(ボルト後退状態から発射サイクル
が始まる)に対し、クローズドボルトのハンマー式発火システムで、自動
装てん式の拳銃,ライフルで一般的な機構を持っている。
拳銃などでは、トリガー(引き金)とシアの関係を絶つディスコネクター
が存在するが、Vz61ではトリガーを引いた状態でハンマーをロックする爪
があり、セミオートではボルトの後退によって起されたハンマーの後端を
ロックする。
この爪はトリガーを戻すことによって、ロックを解くが、今度はハンマー
の逆側がトリガーによりロックされ止る。
このセミオート構造はフルサイズのライフル、AK47やM16などと同じだ。

閉鎖機構はシンプルブローバックで、ボルトはその重さとバネ圧のみで
抵抗するが、ボルト動作の後端で、ショックアブソーバーが働き、加えて、
ボルトの後退を遅らせるレートリデューサーによって、連射速度を
抑えている。

遅延装置を持たないイングラムM11(380ACP)などは、1000発/分にも
及ぶ速度となっている。

レートリデューサーの機構を構造図を推定、イラスト化してみた。
レートリデューサー(画像の黄色のパーツ)とショックアブソーバー
(緑色のパーツ)の関係がよく分からないが、おそらくレート
リデューサーの下部がショックアブソーバーの上部と当たっている
のではないかと思う。

Vz61/03
各部の動きは、赤い矢印で示している。

まず。断面を水色で示したボルトが後退、ショックアブソーバーがボルト
後部に押され回転、レートリデューサーがボルトを掴む(Fig.1)。

ボルトは少し前進するが、レートリデューサーに止められ、それ以上の
前進はできない。

次に、グリップに内蔵されたプランジャー(青色のパーツ)が、ショック
アブソーバーに押され、下降する。

プランジャーはその形状から、独のMP38が装備していたエアダンパーと
しての機能も持っていることが推定されるが、ボルトからショック
アブソーバーを介して伝えられた力が、空気,摩擦抵抗と内蔵の
スプリング(ピンク色のパ-ツ)の反力と釣り合うまで、
ショックアブソーバーから離れた後も下降する(Fig.2)。

プランジャーはその後、スプリングの力で上昇に転じ、
ショックアブソーバーを叩き、これがレートリデューサーを押し上げ、
ボルトのロックを解く(Fig.3)。

ロックが解かれたボルトは、ようやく前進を開始、次の発射サイクルが
始まる(Fig.4)。

ショックアブソーバーは文字通りボルトの後退による衝撃を緩和すると
共に、レートリデューサ-の作動にも関係している。
また、グリップボルトナットを回し、スプリングの力を調節することで、
遅延速度を変えることができるという。

プランジャーをグリップ内に納めたのは、単に有効なスペース、と
いうより、ボルトと直交する(前後方向の力を上下に変換できる)形で
ボルト後部にプランジャーを配置するには、ここしかなかった、という
側面があるのではないかと思う。

他にボルトの動作方向と逆にプランジャーに相当するものを動かし、
反動を減じる方法もあるが、そのためのスペースはVz61のサイズでは
とれそうにない。

[温故知新]
SMGのレートレデューサー,ショックアブソーバーとしては、独の
MP38がテレスコピック式のチューブで、米のトンプソンSMG
ブリッシュプリンシプル(傾斜に沿って動くパーツが摩擦抵抗を
生む)などがあるが、その後これらは製造の簡易化のため、
シンプルブローバックに改められている。

Vz61/11
1/6で、遅延装置を持つSMG。
左から、Vz61,MP38,トンプソンM1928。


戦後、閉鎖機構をローラーロッキングとした独のMP5などはあったが、
西側では、遅延,緩衝機構は顧みられなかったのではないかと思う。

イングラムやUZI(後にミニUZI,マイクロUZI)など、L型ボルトと
グリップ内マガジン配置といったVz61が”捨てた”構造でコンパクト
を目指したもの、バースト機構を組み込んで、制御を考慮したVP70,
M93Rなどと比べても、当時のVz61はたいへん”先進的な”製品だった
のではないだろうか。

Vz61/10
Vz61(左 マルゼン),イングラムM11(中央 MGC),UZIピストル(右 アカデミー)

Vz61の本体構成はプレス鋼板のレシーバーに切削のフレームという、
AK47にも似たオーソドックスな作りだが、そのレシーバーも現在の
スコーピオンピストルではインベストメントキャスティング(ロスト
ワックス法)の後にCNC(数値制御フライス)でフレームが加工され、
製造方法の近代化にも対応しているという。

Vz61/09
ハドソンのモデルガンで、AK47(手前左)とVz61。

登場当時は冷戦下で神秘のベールに包まれ、その後共産圏の労働意欲
の低下,経済の崩壊によって“先進的”なイメージを持ちにくい東側の
製品だが、独自の道をいったチェコは高い銃器開発力を発展させ続け、
このVz61だけでなく、Cz75ピストルなど名作を送り出した。

デザイナーのミロスラブ・リバーツは、遅延装置と銃腔線に直交する
緩衝装置の両方を構成する、という新機構を発明したが、これだけで
突っ走るタイプではなく、広く銃器の技術に通じ、超小型でも
コントロールしやすい要素、分解性など使いやすい要素を丁寧に
作り込んだのではないだろうか。
その結果として、Vz61は、ライバル達より一歩抜きんでた実用性を持ち、
小型SMGの分野での成功をつかんだのかもしれない。

チェコスロバキアは第二次世界大戦前、ナチスドイツにより解体され、
1945年に復活,1960年に社会主義国家となるが、1968年にそれまでの
弾圧を改める改革、いわゆる”プラハの春”を行ったことを契機に
当時のワルシャワ条約機構が占領している。
1969年に連邦制国家に移行させられ、ソビエト連邦の解体後も
チェコとスロバキアの分離など、ともかく政治体制が激しく揺れ動く。

リバーツ氏はVz61制定後も、異なる口径のバリエーション開発など、
改良に努めていたが、1970年に46歳で亡くなったらしい。
心臓発作だったということだが、プラハの春とその後のソ連軍侵攻から
2年後のことである。

Vz61の開発も、チェコスロバキアが政治,軍備(両者はやはり切っても
切れない関係にあると思う)で独自路線をいったから始まったとすれば、
占領下での進展は困難を極めたことは想像に難くない。
まだ若かったリバーツ氏の死は、その複雑な政治体制に翻弄された結果、
かもしれない。

Vz61/15

では今回はここらへんで。

参考文献;国際出版 月刊Gun 2007年7月号
     ホビージャパン GunProfessionals 2012年8月号
     徳間文庫 最新サブ・マシンガン図鑑(床井雅美著)
     並木書房 オールカラー軍用銃辞典(床井雅美著)

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今回はWWⅡ(第二次世界大戦)中に開発され、朝鮮戦争でも使われた
U.S.M1~M3カービンを。

m2/14

[概要]
M1カービンは当時新開発の.30カービン弾を使う自動装填式の軽量
ライフル銃だ。
.30カービンはライフルとしては弱装とはいえ当時の最強拳銃弾である
357マグナムと比べても1.5倍ほど初活力(マズルエナジー)が高く、
また当初15発、後に30発の容量を持つ箱型弾倉により、当時の
ライフルとしては高い火力(ファイアパワー)を誇る。

M1に対し、金属製の折り畳み式銃床(フォールディングストック)を持つ
降下兵用がM1A1、全自動(弾がある限り、トリガー(引き金)を引き
続けると連続して発射される)切り替え式がM2、赤外線暗視装置を搭載
したモデルがM3である。

[1/1]
リアルサイズのトイガンはM2でモデルガンとガスガンそれぞれ一つ、
MGCとマルシンのものが手元にある。

m2/11
画像上がマルシン製ガスBLKガン、下がMGC製モデルガン。

MGCのM2はM1発売後、1980年のMGC20周年記念モデルとして当初
限定扱いで登場、その後レギュラー化し、CP(内部発火式)カート化
されている。これはCP仕様のもの。

当時安全なモデルガン開発を目指していたこと、コストダウンを図った
ことなどから、独自のメカニズムを取り入れ、主要部は樹脂製と
している。

木部は南洋材で、ナトーのようだが、この個体は塗装がオリジナルでは
なく、再塗装されているようだ。

マルシンもM1,M2カービンを長く様々な仕様で作っており、最近Co2
ガスBLK(ブローバック=ガス圧利用装填式)も登場した。
今回登場するのは8mm弾の(代替)フロンガスBLK仕様で、主要部は金属
(亜鉛合金)製だ。

マルシンの木部は、バスウッドのような白っぽい木目の大人しいもので、
仕上げは艶消しで色が濃いめの着色剤を薄く塗っている。

m2/08
MGC(左)とマルシンの機関部。MGCはM1から流用された上面がフラットなボルトだ。

モデルガンでは、今は無きCMCがM1,M1A1,M2を作り、この金型を
受け継いだタナカが現在販売しており、最近M1A1の生産が発表されるなど、
新(復刻)モデルの動きも活発だ。

[1/6]
1/6では、M1で2つ、M1A1,そしてM3が手に入っている。
WWⅡモノは圧倒的にモデルアップされるものが多く、M1カービンは
比較的手に入りやすいが、M2は外観上の違いが少ないせいか、
見かけない。

M1カービンのバヨネットラグ(銃剣装着装置)は、WWⅡ後に取り付け
られたらしく、この1/6M1カービンでは、装着されていない。

m2/10
マルシンのM2と、30連マガジンを装着した1/6のM1。

m2/09
1/6の各種カービン。左からM1,M1,M1A1,M3カービン。
左の一つは出所不明だが、右の3つはドラゴン製と思われる。
上の画像のように、M3のマガジンをM1に装着することも可能だ。


[開発の過程]
カービンとは、騎兵銃のことで、馬上で取り扱いやすいよう、通常の
ライフルより軽く短いもののことを指していた。
その後、カービンは単にショートバージョンを指す言葉となり、20世紀
前半に各国の制式ライフルが短くなった際、この呼称が用いられ
(単に短いKという型式を付けられたものもあるが)一般化した。

ドイツのKar98k、日本の九九式短小銃などが有名だが、WWⅡ期に一足早く
ライフルの自動装填化(M1ガーランド)を実現していた米国では、弾薬も
含めて大幅な改良を考えていた。

また、米軍はカービンを騎兵用から、指揮官,他の(大型)火器の操作手,
通信兵や警備に当たる者など、いわゆる歩兵以外の兵種の補助的な兵器と
して使うつもりだった。

この用途では従来のライフル,拳銃に加えサブマシンガン=SMGがあった
が、ライフル,SMGでは重く、また拳銃,SMGでは射程が短く、目的に合致
しないことがある、と考えられたようだ。

米軍は第一次世界大戦後、調査したところ、拳銃弾の命中事例が非常に
少なかった、という事もわかり、ディフェンシブウェポンでも命中率の
高い兵器が望まれていた。

m2/16
WWⅡ当時の米軍の小火器用カートリッジ。左から、45ACP,.30カービン,30-06。

当時は技術の進歩で軍の構成が大きく変わっていた変革期、兵士の移動に
まで車両が使われ始め、また通信など、新しい技術に専門化した兵士が
戦闘に加わり、兵士の全員が射程とパワーの大きな、重くかさばる銃を
必要としていないことに着目したことは慧眼であろう。

1930年代からこの計画はあったのだが、正面装備のライフル、M1
ガーランドの制式化に力を注いだこともあり、開発は進んでいなかった。

既にWWⅡが始まっていた1940年10月、この計画を一気に推進すべく、
米陸軍兵器部(U.S.Army.Ordnance.Dept.)は新軽量ライフルの試作を
民間に打診した。

そのとき個人も含め25もの大量のオファーを出し、コンペ形式で早く
優秀な製品を求めたという。

この決定には、正面装備でなく、補助的な自衛用なので民間に、という
判断もあったのではないか、という推測もある。

要求性能は300ヤードの有効射程を持ち、20発入りの箱型弾倉付きで重量
5ポンド(約2.3kg)以下、全/半自動装填切り替えレバー付き、という
もので、この通り開発が進めば、ドイツがアサルトライフルの始祖と
されるMP43/Stg44を開発したのと同時期、もしくは早くにアメリカも
アサルトライフル(=通常のライフル弾よりパワーが低いものを使い、
全自動射撃可能なライフル)を手にしていた、ということになる。

m2/01
1/6で、暗視装置を備えたアサルトライフル2種。
左はM3カービン、右はアサルトライフルの始祖、とも言われるStg44。
M3カービンでは、発射炎で目がくらまないよう、マズル(銃口)にフラッシュハイダーが
装着されている。


後にM1カービンの改良型M2で全/半自動切り替えを実現するが、米国も
やはり拳銃弾を使うサブマシンガンの有効射程の短さに不満を抱いていた、
というのは興味深い。

m2/07
MGCのモデルガンで、全/半自動切り替え用のレバー。
機関部前方左側に付けられ、Aの文字が見える前方に倒した位置で
全自動=連続発射状態となる。


ただ、アサルトライフルに関しては何とM1ガーランドの30-06弾薬に近い
.308のM14をフルオート化してしまう、という世界のアサルトライフル
普及の流れと逆行する迷走を後に始めるのだが、それもM2カービンを
正しく評価し、使用を進めてこなかったため、かも知れない。

m2/02
1/6で、M1ガーランド(左)、M1カービン(中央)、M14(右)。
これら三種は操作系も含め共通点が多い。


さて、新型カービンのトライアルだが、まずウィンチェスター社が自社の
自動装填式用32口径弾を改良した.30ショートライフル弾M1(仮称)を
開発、これが新型銃のテスト用に25万発も納入されたという。

開発には米陸軍兵器部も関与し、以前M1903ライフルを自動装填化する
ピダーセンデバイスで使われた弾薬をベースにした、という記述もある。
この計画は、在庫弾薬の消費という点から却下されたものだが、どうやら
これは.276口径だったらしい。
これが果たしてウィンチエスターの.30口径とどうつながるのか、は
ちょっと調べきれなかった。

全自動機能は途中でいったんあきらめた(のちにM2で実現)が、新型
カービンは1941年5月からテストが始まり、当初はスプリングフィールド・
アーモリー(当時は造兵廠で、国の機関)のものが有力とされていたものの、
8月に入ってウィンチェスターが作った急造のモックアップ、通称
“13Dayウィンチェスター軽量ライフル”が本命となり、泥や雨、錆に
対する耐性を含めた数千発に及ぶ最終テストの結果、ダントツの成績で
ウィンチェスター案(今度は急造とはいえもう少しマシなプロトタイプ
だったらしいが)が採用される。

1941年10月に制式として採用され、すぐさまウィンチェスター以外の会社
も(なんと現在コンピュータで有名なIBMまで加わったとか?)動員して
量産、5年間で600万丁以上が製造されたという。
これは当時の米軍小火器の中でトップの数である。

[操作系と装備]
M1カービンの操作系には、先に採用されたM1ガーランドとの使用の統一感、
再教育の問題などから共通性が求められ、装填用のスライドは、ハンドル
部分だけでなく側面に一部見えているところまで同じだ(下の画像中央が
ハンドル部)。

この形状の踏襲は、後にM14でも行われ、全面的に変更があったのはM16
からである。

m2/03
マルシンM2で、スライドのハンドル部。
ハンドル後部の棒状の突起は、スライドを後退状態で停止させるスライドストップ。


サイトもトライアルでM1ガーランドと共通のピープ(小さな穴から
フロントサイトを覗く)式に変更を求められた部分だ。

M1カービンのリアサイトは、左右を回転するノブで調整する。
上下方向は、当初前後に倒して切り替える形式だったが、距離に応じて
前後にスライドさせる方式に変更された。

ベースは当初の切削からプレスに改められ、生産性向上を図っている。

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マルシンM2のリアサイト。上下左右フル可動だ。

M1カービンでは、それまで(M1ガーランドを除いて)手動式だった
ライフルを自動装填式としたためか、潤滑に注意が払われており、
クリーニングロッドなどの工具は別に持参する形式だが、スリング
(負い紐)の装着部がオイラー(油差し)を兼ねている。

MGCでは単なる棒だったが、マルシンは蓋に細い棒を付けた容器を再現
している(下の画像)。

このオイラー、M1A1でもチークピース(頬当て)に取り付けられている。

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マルシンのオイラー。

マガジンキャッチはトリガーガード前方、マガジンのすぐ後ろに位置し、
Mの文字が刻印されている。
これを押すと箱型の弾倉が外れ、交換できる。

安全装置は、マガジンキャッチの手前におかれ、初期型ではクロスボルト
(押しボタン)式、後に画像(下)のレバー式となった(逆だとする
記述もある)。

m2/06
MGCで、マガジンキャッチ,レバー式安全装置,トリガーを。
MGCは、トリガーガードも樹脂製だ。


[刑務所でカービンを作った男]
このカービンには、珍しい閉鎖解放(オペレーティング)システム、
ショートストロークピストン式が採用されている。

発射ガスをバレル(銃身)から導き、結果的にスライドを後退させるのは
一般的な方式と共通だが、ガスを受けたピストンは短い距離を進んで
止まり、玉突きの原理でスライドだけがその後後退する。

m2/17
①発射前;バレルに開けられた小穴が、ピストンに向かって開けられている。
②発射;弾頭通過後、ガスがバレルからピストンに導かれ、ピストンとスライドが
    後退する。
③ピストン停止;短いストロークしかピストンは動けないため、後退を止めるが、
        スライドは慣性で後退を続ける。


デビッド・M・ウィリアムズはこの方式の考案者で、彼は他にも
フローティングチャンバーという機構も考案、これがコルトM1911の
22ロングライフル(22LR)版、エースモデルに採用されている。

フローティングチャンバーとは、バレル後部の薬室(チャンバー)が
別部品となっていて、発射後、ケースにかかるガス圧で薬室も一緒に
後退、その重量でスライドに十分な後退力を伝達する、というもので、
これにより小さな22口径で、45口径用の重いスライドを作動させる
という。

恐らく薬室は後退を始めるとガスを前部に受け、薬室自体がM1カービン
のショートストロークのガスピストンと同じようにスライドを動かせて
いるのではないだろうか。

コルトM1911の基本設計は銃器開発の天才、ジョン・ブローニングであり、
実は彼も22口径版のM1911開発を試みたが失敗、後に22口径専用の
ウッズマンなどにつながる専用設計でしのいでいる。

つまり、D・ウィリアムズはJ・ブローニングの鼻を明かしたわけだ。
フローティングチャンバーはもともと特殊な目的だったせいもあり、
他に発展したとは聞かないが、ショートストロークピストンのアイデア
の方は現代のアサルトライフルにも用いられている。

D・ウィリアムズは特異な経歴の持ち主で、殺人罪で刑務所に服役中、
独学でカービン銃のアイデアを完成、パテントを取得し、刑務所長の
特別な許可を得て、刑務所内で試作,試射まで行ったという。

その後、嘆願が認められ特赦で懲役20~30年が8年に減刑(一説には再審
で無罪)となり、釈放後ウィンチェスター社に入ってこのカービンの開発
に関わり、戦意高揚の意味もあって彼の半生が映画にまでなったという。

ただ、ウィンチェスター案の当初の開発はJ・ブローニングの兄弟、
ジョナサン・ブローニングが行っており、彼の死後D・ウィリアムズが
入ってオペレーティングシステムを変更(原案はリング状のピストンだった
らしい)したらしく、また主任技師E・パグズレイの手記によると、
D・ウィリアムズの協調性、順応性の低さから、周りの人間が往生した、
という話もあり、開発は彼一人の力では無かったようである。

しかし、WWⅡにおいて米国を勝利に導いた要因の一つ、ともいわれるこの
急造の傑作には、彼の独創的アイデア無くしては完成しなかったことは
間違いないだろう。

そして、米国が、例え重罪の犯罪者であっても、銃器の開発,パテント
取得を許す”自由の国”であり、その発想を正しく理解し、評価できる
民主的な体制であった、という側面を、この銃は示していないだろうか。

くしくも、このカービンは戦後、民主主義国家の体制づくりの為に、
米国から日本に供与され、自衛隊の前身である警察予備隊の装備となり、
後に自衛隊でもこれが使用されていた。

いつも言う事だが、米国式が何も絶対だとは思わない。
しかし、WWⅡではその技術,生産能力に苦しめられ、戦後逆にその恩恵
を受けて成長してきた我々は、こういう背景も、直視しなければ
ならないのではないだろうか。

m2/13

それでは今回はここらへんで。

《参考文献;月刊Gun '79 11月号,'06 3月号,'11 10月号》

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