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海の中道事件 続編
umi/01

前回、記事の中で番外編としてこの事件について少し触れた(M10 2インチの記事)ので、乗りかかった船でもあり、今回地裁判決を受けて独立した記事でこれを書くことにした。
従来の趣味のブログとは異なる趣旨で、せっかく覗きに来ていただいたトイガンファンの方には申し訳無いのだが、少し硬い話にお付き合いいただければ、と思う。
この話をするにあたっては、まず、幼くして命を絶たれた、今回の事故の犠牲者三名の方に、謹んで哀悼の意を捧げたい。
この尊い犠牲の為にも、事故と裁判の行方について、地裁の判決が出た今、考えてみるべきであると思う。

また記事の前後に人形の写真を付けているが、これはこのブログの体裁の為であり、本人も迷ったがこの表現方法とさせてもらった。もし気分を害された方がおられたら先にお詫びする。

[酔っていたかの判断]
今度は判決が議論を生んでいる。
訴因を追加させたときからこれは予想できたが、ある意味予想以上の温情判決に、驚かされた。
偽装工作を行う冷静さがあるので、泥酔とはいえない、とまで判断しているとのこと。
弁護側の問題を以前訴えていたが、法廷全体にこのような、一般の認識からかけ離れた加害者の味方意識が浸透しているとするとかなり問題である。

確かに、刑法事案の場合、「疑わしきは、被告人の利益に」である。
しかし、あくまで呼気のアルコール検査によらなければ、「疑わしき」状態なのだろうか。
飲酒量とそれを消費した時間については、この裁判でも、既にかなり明らかになっているようだ。
どんなに酒に強い人でも、飲酒すれば通常の状態の反応速度、判断力は維持できないと思う。
警察側の研究だが、科学警察研究所の発表によると、酒に強い,弱いに関わらず、反応時間の遅れが認められるという。

また、今回の事故態様が明らかに、「通常の判断力で」運転していて発生しないと思う。
何より直線道路での追突であり、一瞬のわき見ではこれだけの事故は起こらない。
今回の事例は、通常の状態では考え難いほど注意力が低下していた、と判断するべきではないだろうか。
多くの酒を飲んでおり、通常の判断力なら避けられた事故を起こしている。原因と結果が揃えば、これは「酔っていた」証明になるのではないか。
酒気帯び運転の場合と異なり、酒酔い運転の場合の基準は呼気のアルコール濃度検査に基づいていない。
酔っているかどうかの判断は、本来精神医学 神経生理学的に判断すべきとの医学側からの意見もあるようだ。
そうすると、単に呼気のアルコール濃度を測っても、一定の目安にしかならないことになり、逆に上記の手法に近い、その行動から(つまり事故の態様から)判断するほうが、まだ科学的だとは言えないだろうか。
呼気による体内のアルコール濃度推定(これも、間接的な方法ともいえるのだ)以外に、近年、飲酒量から体内のアルコール濃度を推定する、ウィドマーク法によって計算された結果が、証拠として法廷に提出されているが、これを採用して有罪となった例はまだ見られないようだ。
今回の事例でもそうだが、「酔っている」状態の証拠は揃い難い。
それなら、偽装工作無く速やかに検査に応じなければ、状況証拠を覆せない、という判例を作れないだろうか。

またアルコールの血中濃度より正確さという点では低いものと思われる、しかも「偽装された」検査結果に拘る裁判官の姿勢は、更に不確実な「証拠」を金科玉条のようにかざしていることにならないだろうか。
これは、数字として明確に表されているものが客観的で確実である、というデータ至上主義とでもいうべき誤り、または難しい判断を避け、数字を示せば非難されにくいという、事なかれ主義に陥っているのではないだろうか。

また、判決がさほど酔っていない推定要因として挙げているのは、運転を始めてから8分ほどの間事故が無く、狭い路地などを抜けているからだという。
これは、運転開始直後は酔っていても緊張を維持できただけではないだろうか。

以前、未明(夜明け前)に車を運転していて、前を行く車が飲酒運転で横転事故を起こすのをちょうど目撃したことがある。
このときは、飲食店から出た車が最初はちゃんと走り出し、二度ゆっくり車線をまたいで(直進しているつもりが徐々にづれていき)、これに気づいて元の車線に戻る、ということをやった。
これはおかしいな、危ないから注意すべきかな(全く見知らぬ他人だが)と思っていたら、今度は道端に寄ってしまい、車の進入止めに乗り上げてあえなく横転してしまった。
この目撃例では、最初から全く運転できていないのではない。
車線を越えたといっても、すぐクイックに戻してその後しばらくそれを維持しており、これが蛇行を繰り返したとまではいえないと思う。
わき見の状態が2回あったのと同じである。
飲酒運転の事例として、その傾向は似たものが無いだろうか。

直線での追突事故でよく言われる、「ぼうっとしていた」状態になるのは、単調な状態になり刺激の少ない状況の方が、集中力を欠きやすいからではないか。
そして飲酒の影響を補うべく、運転開始当初は覚醒を心がけて注意力を維持していたものが、この慢心により低下したのではないか。
運転を始めてから数分は一応事故もなく運転できたというが、逆にその位が緊張を維持できる限界だったのではないか。

そしてこのような飲酒の影響については、個人的経験だけでなく、既に科学的見地からの検証が行われ、交通安全の啓発活動などに使われているように思う。
これに対し、報道を見る限りでは、判決には、飲酒の影響についての知見や、科学的考察が伺えないように思う。

[制御不可能な速度]
また、今回の事件は、橋の上の事故であり、法定速度50キロ(km/時)のところを、倍の100キロで走行している。
速度超過50キロ以上は、それだけで免許停止確定で、速度超過では最も悪質(大きな違反)なランクに入る。
更に橋の欄干は当然法定速度をもとに強度を検討していると思うので、倍の速度で走行し、走っている前車に追突した場合、欄干を突き破って転落する危険は“予測できた”といえないだろうか。
普通の平面道路と違って、転落の怖れがあり、そうなると非常に危険なところを、法定速度の倍,50キロ以上超過で走る、これを危険運転とみなすわけにはいかないだろうか。

この道路を加害者が通常100キロで走っていたというが、いつも違反していたからといって、それはたまたま事故を起こさなかっただけ、ともいえる。
これは安全を証明するものでもないし、ましてやその速度を容認すべき事情とはならないだろう。
これで事故の責任が低減されるなら、違反の奨励になってしまうと思う。

また、実際の走行条件は、場所ごとに、または気象条件などにより刻々変化する。
このため、一律に定めた法定速度だけを基準には出来ない部分もあると思う。
それではどのような状態なら危険運転の要件を満たすか、で判断できないだろうか。
今回の事例では、直前でブレーキをかけ、ハンドル操作で回避しようとしたがぶつかったようだ。
回避はもちろん、制動,停止も制御のうちである。つまり制御できずに追突しており、この事例は正に危険運転の要件を充足しているのではないか。

[わき見が主原因か]
くどいようだが、わき見が事故の主な原因、とは出来ないと思う。
それまで適正な速度,車間距離を保っていたなら、一般に交通教本等で使われる1秒程度のわき見なら、制動,回避不可能なまで事態は急迫しない。
逆にいえば、回避できるだけの距離、それが安全な車間距離である。
前方不注視の直線追突の場合、居眠りが原因であることが多いのは、被害車両の急ブレーキや急な車線変更などがなければ、一瞬のわき見では事故にはならないからだ。
更にいえば、事故当時、加害者は何を見ていたというのだろうか。
以前、多くの被害者を出した事故で、車内のオーディオ機器を操作しているうちに事故を起こしたと主張しているものがあったが(これが認められたかは知らないが)、このような加害者が注視すべきものが具体的に語られたのだろうか。
わき見というのは、何かを見ていた状態である。
進行方向でない方角を、目的も無く眺め続けたというのなら、これは「通常の判断力がある」状態ではない。

[危険運転致死傷罪の意味]
確かにまだ若い青年に7年以上の実刑を科すというのは、非常に重い結果になるし、それだけ長い懲役が果たして本人の更正の為になるか、というと疑問も残る。
まだ社会には飲酒運転を引き起こす環境が残っており、今回の事例でも彼が一人自宅で酒を飲み、自動車の運転を始めたのではなく、幾人も関係する周辺の人間がいたようである。
彼は事故後、被害者を救出するどころか、自己保身の為の数々の隠ぺい工作を弄しており、これは非常に悪質な行為と言えるのだが、若さゆえ自分のこれからのことを考えて一種のパニック状態に陥り、見境無く見苦しい、愚かな行動をとってしまったのかも知れない。
また、この事件は当初からマスコミに大きく取り上げられた。
法律制定の機運、世論を意識してかマスコミの論調が魔女狩りよろしく、当然彼に厳罰が下されるものという前提に立った、偏ったものだった可能性もある。
彼一人が飲酒事故問題のスケープゴートになり、過酷な責任を背負わされるのであれば、これは慎重になるべきである。

しかし、だからといって法律の趣旨を無視し、また以上述べたように到底納得、賛同できないような理由をつけて適用を見送ってはいけないと思う。
この法律の適用は、彼一人の問題では無い。
法廷の場では、しばしばなおざりにされがちな事故の被害者、それも今回の被害者だけではなく、未来の、残念ながら決して少なくないと予測される飲酒運転事故被害者の危険を考えるべきだ。
裁判官には、目の前の被告(加害者)を見るだけでなく、社会の規範を作っているのだという認識を忘れず、時には鬼になってでも正義を示して欲しいものである。

[刑罰が薄まる危険]
ついでにいえば、刑法制定から非常に長い年月が経っており、刑期を全て見直してもいいのではないか、と思う。
人生50年の時代から、現在平均寿命80歳になろうかという時代である。人の命にかかわる罪などは、1.5倍にしても制定時の趣旨に沿うと思うのだが。

また今回の法律は新しいものだが、刑の適用と判例の歴史的傾向についても。
現在の法制は判例の積み重ねが量刑に一定の基準を与えているのだが、これは長い年月を経ると、量刑が軽くなる傾向が生まれるのではないかと思う。
判例は当然、個々の事例によって量刑が異なるが、各裁判所が一応独立して判断するので、ばらつきが生じる。
更に最高裁でも、裁判官が代わるので、そこにある程度量刑の差は生じる。
そして、この中で平均的な量刑を考えるとしても、公平性の観点から以前の量刑より重くは出来ない、という判断が入ると、次第に軽い方へ移行してくる傾向があるのではないか、と思う。
特に被告人の人権重視の判断がある場合、刑は軽くなる方向へ行くのではないだろうか。
これを修正するには、一定期間を過ぎたところで、法自体を改正して補正するか、大きな流れで判例を捉え、量刑の体系を見直しながら事例に当たるかが必要なのではないだろうか。そうしないと、次第に法は効力が薄まっていくという心配は、杞憂だろうか。

[法の精神の実現]
判例が出てきたところで、古い判例だが、事故で死亡前に「残念」と言い遺したことを、慰謝料請求の意思と認めたものがあった。当時の裁判官は、法の精神を実現するよう、法文の足りないところを解釈で補っていたように思う。
法文の記述は、細かすぎても、大雑把過ぎてもいけない。
どちらも“使えない”法になるからである。

厳しい刑罰の法には厳しい要件を、という意見もあるが、これは裁かれる行為の明白性と運用可能性とのバランスから考えるべき問題で、ともかく細かく,厳しい要件では破防法のように絵に書いた餅になる。
そしてこれは立法の、国会の場で議論され、合意をみた結果法律として成立するものである。
また、運用面で厳し過ぎる解釈が行われると、更に要件を緩和した、「目的外にも適用可能」な法律が生まれてくる危険性が増す。

最も厳しい刑が適用される殺人については、非常に短い「人ヲ殺シタル」という要件だけである。
そして昔も今も、「殺意の有無」が争点になるが、これは突き詰めれば加害者の心の内のことであり、裁かれる本人しか知りえないことである。

そして、裁判官は個人的にこの法律を良く思っていない、ということもあり得るし、意見を持つこと自体は決して悪いことではない。
もちろん無知から悪法が出来ることはあるし、それは専門家からの意見として廃止,改正を訴える必要はあるだろう。
但しその法律が施行されている以上、たとえ悪法でも、それが民意である。
出来た法律は国民も司法も遵守するのが、民主主義である。
以前、判決に立法上の不備を指摘し、現行法の限界を訴えるものがあったが、可能な行為はここまでではないか。
裁判官は、自分の意見は意見、仕事は仕事としてきちんとその運用を行わなければならないはずだ。

またこの法律は禁酒法のように全面禁止ではないが、愛飲家には面白くない話であり、製造,販売(飲食店)業者にとっては(違法な行為の結果の、本来守られるべき利益ではないかもしれないが)少なからぬ損害を発生させているものである。
また、もともと条件反射の早い人もいれば遅い人もいるのだが、現在の運転免許制度では、そこまで適性を問わないで国民の過半数に運転を許している。
更に高齢運転者も増えており、その事故も最近問題になっている。
これらとのバランスを考えると、果たして飲酒をとりわけ重い罪に問うべきか、という問題がある。

何も立法や民間の意見のお先鋒を担げとはいわない。
ただ、もしも異を唱えるなら、他を納得させられるだけの検討が行えているか、威厳を保てるだけの中身があるのかを、まず自問すべきではないだろうか。

報道内容だけの判断では、正確さを欠くと思うが、今回の判決に、危険運転致死傷罪を否定するだけの真実、否定できるだけの説得力は、無いのではないかと思う。
そして感じられるのは、責任を持つべき者の、弱さである。
以前、警察官が射殺された時の政府関係者の態度について(MP5の記事)指摘したが、この判決は、今、責任を持って毅然とした態度で事態に臨む、という強い意志が、命にかかわる重大な任務にあるものに欠けていることを危惧させる。
もちろん、判決については両論あると思う。そしてそれぞれの立場の者が、それぞれ持つ場でより深く交通事故について考えていただければと思う。

この事件に関わった方々に個人的な感情は無く、それぞれの職業的内容、法的な被告(加害者)の立場につき,、上の考えを述べさせてもらうものである。
また、直接取材などを行ったことはなく、報道記事を元に書いている。
このため敢えて個人名を記さない形で書かせてもらったが、それぞれ感情を持つ人間である。不快な思いでこれを見られた方にはお詫びしたい。

今後の裁判の行方にも関心はあるのだが、一応この問題についてはこれで終わりたい。

参考資料
警視庁 アルコールが運転に及ぼす影響
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/insyu/insyu1.htm
科学警察研究所交通安全研究室 調査報告
http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku190906/pdf/kakeiken_kenkyu.pdf

自動車技術会 論文集2004年Vol35No4 藤田悟郎
アルコール代謝の個人差と低濃度アルコールが運転に及ぼす影響

武蔵工業大学 計画・交通研究室 学生論文 西島英弘
飲酒が運転者の運転挙動及び生理特性に及ぼす影響
http://www.civil.musashi-tech.ac.jp/user-kigyou/2005cd/pdf/c_ronbun20.pdf

アルコールに関する法医学関連事項
http://tsstudio.s12.xrea.com/med/lmedalch.html

umi/02

次回はもちろん通常の形、トイガンレポートで超ロングサイズのオートを予定している。
ではまた。

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まとめ

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