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今回は、秋葉原の事件と、ナイフの規制について考えたい。
OP/05


まず、この事件で犠牲となられた方に謹んで哀悼の意を表し、被害に遭われた方にお見舞い申し上げたい。
少し話はそれるが、一般的に良く用いられる、一日も早い回復を、という慣用句に今回は違和感があり、敢えてお見舞いとさせていただいた。
打撲に創傷、しかも重度の方もいらっしゃったようなので、容易に全快することを予想したような言い方を軽々に用いたくない。
個人的には指の縫合治療の経験があり、これでも最終的には後遺症状固定、で終わってしまった。
今回の被害者の方々は、更に心的外傷も考えられ、その苦しみはいかばかりか、察するに余りある。
心よりお見舞い申し上げ、もちろん少しでも症状が良くなることを願って止まず、そして皆様が全快される日がくれば、これほど嬉しいことは無い。

また、今回も記事の前後にナイフと人形の写真をつけているが、これはこのブログのスタイル、テーマの絵的表現で、間口を広げる意図で始めたものであり、もちろんこの問題をふざけた気分で茶化そうというつもりはなく、もし気分を害された方がいたら先にお詫びする。

さて、刃物製造団体がダガーナイフの生産を自主的に中止、規制を求めるという記事もあったので、既に銃刀法の改正は規定路線になりつつあり、負け犬の遠吠えかもしれないが、ユーザーの立場からも意見をいわせていただく。

[犯行とその罪について]
この犯行自体については、厳しく糾弾すべき行為だと思う。
これは広く一般に恐怖を与える事を狙った、という点ではテロである。
いかなる理由があっても、断じて許される行為ではない。
これは卑劣極まりない、汚い手段で、何の落ち度も無い方々を、ほぼ無防備の状態から一方的に攻撃したものだ。
ただ、犯行に至る犯人の心理や、犯人を取り巻く周囲にも何らかの悪意(法律用語ではなく、一般的な、犯人への加害を目的とした意思)が無かったか、派遣雇用,失職の不安など社会の問題、心の拠りどころとなるべき家族関係の形成の問題等、これから調べ,考えるべきものも多いと思う。
今、一般の立場にある者が犯人自体,またはこの罪を断じるのは、早計ではないかと思う。
罪については、今後行われる裁判の場で、公正に裁かれることを望むのが法治主義の観点から重要だと思う。
魔女狩り裁判になっても、アンチヒーロー化が進み、第三の模倣犯を呼ぶ恐れもある。
また、この事件は、裁判員制度の対象になる可能性も考えられるのではないかと思うが、その際には、どうかより一層深く、事件について,罪について議論,考察いただき、間違っても裁判員制度を「一段高い傍聴席」に終わらせないよう努めて頂きたいと思う。
裁判員に選ばれた方には、民意の確かさ,正しさを示し、そして有用性を知らしめて裁判の民主化を押し進める原動力となっていただきたい。
(*今回のケースでは、その施行前に起訴され、従来の裁判で裁かれるようです。追加訂正します。)

[モノについて]
犯罪は、それを行った人間に問題,原因があるのであって、物のせいではなく、また物のせいにしてはいけない、という主張もあり、基本的には賛成である。
そして、ナイフの規制強化で事件の防止は図れないと思う。
但し、現在この理解が得られにくい状況も理解しているつもりである。
しかし、敢えて主張させてもらうのは、サバイバルゲーム,テレビゲームが根本の問題であると思わせるような間違った情報、凶器についての誤った知識については、おこがましい言い方かもしれないが、それに気づいている我々が意見を発し、訂正していかなければならないことだと思う。
そんなことはどうでもいい、といわれるかも知れないが、過去にも似たような犯罪は起こっており、判断の誤りが、このような犯罪が繰り返される一因ではないかと思うのだ。

できるだけ被害者の方の感情を刺激しないように配慮させていただくつもりなのだが、誤りについては声をあげ、また有害でないと思われるものは続ける、という方法を今も模索している。
もちろん、その判断につき、それぞれご意見はあると思う。
だが、ルールを守っていれば、それ以上「空気を読め」などというような、過度の自主規制につながるようなことを認めたくないし、基本的に言論の自由は保証されるべきだと思う。
そして、それぞれが、現在では(このように)それぞれが得ることの出来る発表の場で、意見を表明すればいいと思う。

このブログでは過去にいくつもナイフを取り上げている。しかし、これらはナイフの悪用については警鐘を鳴らし、また手前味噌ながらサバイバルナイフ,タクティカルナイフがどういうものか、といった疑問について考えるという趣旨でも記事を書いている。
このような知識,考察の普及は、犯行を誘発しエスカレートさせるものではないと思う。
今回ダガーナイフがセンセーショナルに取り上げられ、これが過度に恐怖心を煽る報道の一翼を担ったと思う。
そのような“演出”に警鐘を鳴らす意味でも、決して有害無益なものではないと思う。
また、今回の報道でも問題のあった、何をサイバイバルナイフというのか、など定義の考察とその一般化は、必要なことではないだろうか。
よって過去の記事を削除したり、一時的に閲覧禁止にはしていない。
また、一部の書き込みに見られた、犯人が心理的効果を狙ってナイフを選んだ、という主張が正しいのなら、尚の事ダガーナイフを“凶悪無比な道具”や“未知のツール”にしてはいけないと思う。
未知こそ恐怖のもとではないだろうか。

[テレビ報道について]
テレビ報道が、作為をもって事件の演出を計り、意図的に恐怖心を煽ることによって視聴率の向上を狙ったとは考えたくない。
また視聴者が皆、結局は対岸の火事であり、現実性を持って見ておらず、このためよりスリリングなものを要求し、この報道にフィクションより面白い演出を求めたとも思わない。
しかし犯人の目的が広く大衆に恐怖を与えることであり、またワイドショー独占といったことを自虐的に語っていたようなので、マスコミにはその目的完遂に手を貸したこと、虚構のモンスターを作り上げようとしていることには反省していただきたいと思う。

その一方で軽視されている面がある。
今回のケースでは、犯人は警官が拳銃を抜いて威嚇したところ、抵抗を断念、武器を捨てたという。
ナイフ程度では拳銃に抵抗できず、警察の武力はテロに勝ったのである。
犯行の発生は防げなかったが、今回のケースは地の利(警察署が近い)もあり、迅速に犯人の凶行を止め、被害の拡大を阻止できた。
図らずもテレビドラマで、「被害者を安心させることが第一」というようなフレーズを聴いたところだ。
(このドラマの主人公役は、以前同じくドラマで、バタフライナイフを使い、槍玉にあげられた。
もちろん、安易にテレビに影響され、悪用する者が悪いのであって、彼に非は無かったと思う。)
政府,マスコミは、警察はいちはやく駆けつけ、速やかに事件を解決する能力があったこと、武力は有益であり、善良な市民を守ること、犯人はこのように無様に捕まり、決して悪役ヒーローにはならないことをアナウンスすることが出来たはずである。
そうすれば模倣を考える連中を萎縮させる効果は高い。
いたずらに恐怖を煽るのではなく、再発を防止し、安心させることが出来たはずである。
つまり、この事件の処理,アナウンスに、大きな対策を講じる余地、チャンスがあったと思う。
そして、それを棒に振ったのは、後述するが、ナイフを槍玉にあげようとしている心理と同じ、武器,武力への嫌悪だったと思う。

マスコミがその後もミリタリー関連に対し差別的な扱いをし、ご遺族や被害者の方に取材攻勢をかけて迷惑を考えず、また加害者の家族まで引っ張り出して謝罪をさせることへの是非はここでは敢えて論じない。
それより問題にしたいのは、人々を安心させようとせず、逆に効果に疑問のあるダガーナイフ規制をして終わり、になることである。

[他の対策について]
そしてこれは、刑罰の抑止効果が効かなかったのではないかと思われるが、ならばどのような対策を講じるべきか、を考えなければいけないのではないだろうか。
犯人が6/8を犯行日に選んだのは、大阪の事件を意識してのことだと思うが、ここで舞台が変わったことにも着目したい。
現在,学校や登下校の安全には、少なからぬ努力が払われ、今回たまたまかも知れないが、標的にされることはなかった。

駅などは既に警備に気を使っている様子も伺えるが、今後はこのような歩行者天国,大規模店舗でも、凶悪犯罪を想定した警備を進め、また安全な場所を消費者も志向するように訴えることが必要になってくるのではないだろうか。

そして、今になって振り返れば、ある程度このような事態が起きる危険を予期できたのではないかと思うのだ。
秋葉原の歩行者天国では、少し前から問題行動がクローズアップされていたように思う。
窓ガラスが割られ、落書きがいっぱいあるところでは犯罪が増える、というように、小さな予兆ともとれるモラルの低下,軽微な犯罪が見られる場所に、凶悪で重度の犯罪が引き寄せられていくのではないだろうか。
事後なら何とでも言えることかも知れないが、重大犯罪の予兆を捉えて予防に努めることが、今回の痛ましい犠牲を無駄にしない方策ではないだろうか。

また、犯人の心情も犯行に至る直前まで、揺れ動いており、頻繁にメールを発して、自分を警察に捕まえて欲しかったのではないかと思わせるフシがあっった。
もちろん膨大な情報があり、このような犯行予告は大抵偽物であり、いちいち動いていられない、ということもある。
しかし、総務省はネット情報を自動的に検知,通報するシステムの開発に乗り出すといっており、そのときには、上記のような心理学的な「読み」も確率を上げる上で役立つはずだ。

その上で我々に出来ること、もう想像がついたかも知れないが、「これぐらいは構わないだろう」と調子に乗ってハメを外した行為が、このような犯罪の連鎖の発端になる可能性を自覚し、エアガンやナイフの運用でもネット,携帯メールの書き込みでも、ルールの遵守,迷惑行為の一掃など、自らを厳しく律するべきではないだろうか。
自由には、当然責任,義務がついてまわる。
これらの行為が、規制の強化を許すだけでなく、もしかすると次に自分や、その大切な人々に凶悪な犯罪がふりかかることを助長しているのだという認識を持っていただきたいと思う。
我々が生命の安全や趣味の自由を守りたいなら、高いモラルの実践が求められるのではないだろうか。

[趣味,嗜好の違いについて]
被害があるから趣味の自由を認めないというなら、スィーツや酒などの嗜好性食品、硬式野球、ゴルフなどのスポーツも禁じるべきである。

菓子の類は食料ではないし、スポーツも生産性のある労働ではない。
つまり、「楽しむ」という一点を除けば、無くても生活に困らず、そして害のあるものである。
習慣性のある嗜好品の害だけでなく、甘みは強い誘惑効果があり、肥満が原因での死,疾病に少なからず関与し、そしてこれは既に無視できない数である。
スポーツ用品の悪用も常に発生し、スポーツ自体でも死者を発生させている。
危険性という点でも、これらとナイフには差が無いのではないか。

そしてもし、自分の好きなものは良く、嫌いなモノは取り締まれ、というなら、それは利己的なダブルスタンダードであり、許されることではない。
嫌いだから排除する、という姿勢、それは正にイジメの構図ではないのか。
このような感情(ナイフ嫌い)が、例え多数でも、不当な扱いは多数決で阻却(多数が嫌いなら好きな人からも取り上げていい)できないことは子供でも理解できる理屈である。
デザートに例えるなら、ドリアン禁止法は許されるだろうか。
以前グロックG17モデルガンのところで、正義について考えたことがあるが、ロールズの正義論では、公正としての正義の第一原理として、各人には基本的自由に対する平等の権利があること、とされており、これに従うと、趣味に優劣をつけ差別することも、正義に反するのではないだろうか。

少し古いが、浜崎あゆみの歌で、「TO BE」という曲がある。
この歪んだ、人にはガラクタにしか見えないモノを大切にする気持ちを、私も認めたいし、守っていきたいと思う。

[ナイフの実用性]
また、憲法に謳われているように、公共の福祉に反しない限りにおいて、幸福の追求は認められるべきである。
今回犯行に使用された道具のうち、トラックは使用目的が公共の福祉に沿っているから、被害が出てもお咎めは無し、ナイフがいけないのは、趣味のものだから、という判断があると思う。
これについては、確かに公共性という点で、その割合が違う。
しかし、同様にスポーツ・カーは禁止されているだろうか。
ナイフも実用性はある。ダガーナイフでキャベツを切ることが出来ないならともかく、料理にも使えるし、釣りやダイビング,ハンティングではプロがナイフを使用している。
逆にいえば、そのルックスに捉われて、果物ナイフとスポーツナイフで極端に判断を変えるのは、やはり何か、別の根拠があるのではないか。

[武器,武力への嫌悪について]
つまるところ、趣味を平等に評価せず、ナイフへの規制を容認するのは、気持ちの問題、武器は忌み嫌うべきもの、という占入観ではないだろうか。
ここには、コトダマ信仰とケガレ思想による日本人の自覚なき宗教観による武器嫌悪意識があると思う。
この意識とその問題については、井沢元彦氏の「逆説の日本史」を参考にされたい。
逆説の日本史 (3) (小学館文庫)逆説の日本史 (3) (小学館文庫)
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逆説の日本史〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎 (小学館文庫)逆説の日本史〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎 (小学館文庫)
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但しこの感を持つことは、まさに信教の自由と同じで矯正を強要できるものではない。
しかし、これを無自覚に潜在的に内包するのと、自分たちの性質について理解したうえで、より客観的に事態の対処を考えるのとでは、全く違う結論が出ると思う。

いやこれは感情でなく、信条、しかも多くの犠牲を出した戦争の教訓で、譲ることのできないものだ、という方もいるかも知れない。それについてはまた下で論じたい。

[武器,もしくはその周辺の全否定について]
ここで以前、AK47(過去の記事)を取り上げたとき、武器,武力についても少し考えている。
武器の根絶は、現代の文明,技術の否定であり、また武器にまつわるものだけを抽出して廃棄するような真似は出来ないのではないかと考えている。
そして、ここまで武器を忌み嫌い、無視しようとしているのは、世界でも日本ぐらいではないだろうか。
既に大きな武力を持ち、世界最強といわれる米国の武力を背景に”安全を保障”されているにもかかわらず、である。
それは、上記の井沢氏が指摘するように、平安時代からの宗教観だと思う。
しかし武器反対派は、これをより進んだ、理性的な見識だと考えているのではないか(これは武器肯定派の”偏見”かも知れないが)。
それなら議論だが、武力を行使しない保障を、どこか他国が日本に対して行っただろうか。
そして、もしそのようなことがあったとして、その口約束(国家間だからペーパーはあるが、歴史上常に紙は破られる恐れのある、正に物理的な性質と同じく、薄いものでしかない)を守らせる力が、どこにあるだろうか。
経済力,食料では、人道的な手段だろうか。
支援,協力をしない、というのは邪魔をするのとは違うし、別に日本人を拉致しているテロ国家を擁護するつもりは無いが、兵糧攻めも立派な攻撃で、撃つのも飢えさせるのも同じ結果、いやもっと長く苦しめる行為ではないだろうか。
話を戻して、相手の信義に全てを委ねるといっても、自国の中でもこれだけ凶悪な犯罪が生まれているのである。
日本の周りを見てほしい。押し並べて皆日本と領土について争いがあり、人権を抑圧し、また生存権まで脅かされて難民として逃れる者が後を絶たない国まである。
先程の話だが、未だにその日本人を拉致したまま、返さない国もある。
現に日本人の人権を蹂躙し続けているところまで(全て、でないと非武装で国を維持できない)あるのだ。
全く成り立たない話ではないだろうか。
結局、武器の排除思想は、先ほど触れた、嫌いなものは無視(日本に武力は無い事にまで!)するという、子供じみた独善ではないだろうか。

[檻の中は安全か]
話を元に戻そう。
過剰な規制は宗教儀礼と同じ、いやオカルトであり、多くの害を及ぼす割に利益は少ないように思う。
既にモデルガン,エアガンの規制、ナイフでもバヨネット,ジャックナイフの禁止があり、またバタフライナイフの自主規制などを行っても、今回のダガーナイフのような事例が起こる。
そしてこれからも、いくらでも新しい形の刃物が登場するはずであり、今回の両刃の刃物にしても、片面を研げば、ある程度同じ効果のある凶器が「簡単に」作り出せる。
いや、根本に立ち戻れば、凶器はダガーである必要は無い。
多くの場でも語られているように、悪意があれば、包丁でも鉈でも犯行は可能だ。
規制を強化すれば安全であるという神話は、既に崩れていると思う。
例え趣味をみな禁じ、自ら檻の中に入っても、その隙間からいくらでも危険は入ってくるのである。

規制とは違う話だが、官憲の武力についても、今回のように事実があっても、嫌悪感から評価しないのは、非常に遺憾な態度である。
安全を守る上で重要な武力を軽視、暴力に対しては、逃げるに勝る兵法なしで、蜘蛛の子を散らすように逃げ、遅いものが被害に遭っている間に他のものが逃げ延びる、でいいのだろうか。
これこそ、弱肉強食で、弱い者に対して非情な社会ではないだろうか。
今回もまた、テロが起こったのであり、一層の防衛,対抗力強化(具体的にいうなら防刃チョッキを常時着用して、もっと制圧力の高い装備や、非致死性の武器の普及など)を考えるべきなのではないだろうか。

非暴力,非服従で独立したとされる国も、今や核保有国である。
南米では、過去にいくつもの帝国が抵抗を放棄して実際に滅亡させられている。
皮肉な言い方かもしれないが、争いの無い世界は、天国である。しかしそれはこの世ではない。
武力の行使は、それを受ける側からすれば単に暴力かも知れない。
しかし、完全な非武装は棒きれひとつ存在しない、ということであり、あり得ない話だと思う。
そして、その幻想が、実はテロを許し、弱い者を苦しめてはいないだろうか。

次回は、通常の形で再開できれば、と思う。そして、ナイフの記事ももうしばらく時間を置いたら、またUPするつもりである。
それでは。
OP/03



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まとめ

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